島崎藤村『夜明け前』

必要があって島崎藤村『夜明け前』の最終章を読む。主人公の青山半蔵が発狂して座敷牢に閉じ込められ、現実との接触を失って死んでいく過程が描かれる部分である。

『夜明け前』は有名だけど、今はあまり読まれていない小説らしい。読んだことがある人は手を上げてくださいと聞いてみたら、手を上げたのは一割に満たなかった。でも、藤村の父をモデルにしたこの小説の最終章は、かつて精神病患者を閉じ込めていた座敷牢の記述としては、おそらく一番有名でまとまったものである。基本的にフィクションだから、そこに気をつけなければならないのはもちろんだけど、精神医療の歴史に興味がある人は、とにかく読んでおかなければならない。

主人公の青山半蔵は木曽の馬籠の庄屋で国学者で村の精神的指導者。彼の一生を通じて、一地方におkrつ明治維新との達成とその幻滅を描いた作品。青山の発狂は色々な前兆はあったが、最終的には寺に放火することで一気に顕在化し、その危険をおそれた村人が有形無形の圧力を青山家にかけて、屋敷の裏手に作られた座敷牢に半蔵を閉じ込めさせる。この半蔵のもとに家族や村人や昔の同志などが次々と訪れるのだが、その中で彼らは「なぜ」という質問を自分たち自身に投げかけている。なぜこの高潔な人格を持つ「お師匠様」が、発狂という形で人生を終わらなければならないのか。それは理不尽ではないか。妻は半蔵がときとして過ごした酒を責め、半蔵の弟子は自分たちが師に従う情熱が足りなかったからではないかと自分を責め、かつての同志は理想と現実との隔たりが乱心の原因ではと考える。

このあたりは藤村研究を眺めてみないとわからないけれども、それぞれの読者は、発狂して座敷牢で人生を終える主人公に、自分の人生と自分が生きてきた年月を重ねるような仕掛けになっていると思う。