パラケルススの宗教思想

パラケルススの宗教思想と自然科学思想の関係を論じた書物を読む。文献は、K. ゴルトアンマー『パラケルスス-自然と啓示』柴田健策・榎木真吉訳(東京:みすず書房、1986)。著者はパラケルスス著作集の宗教思想編の編集の任にあたった碩学で、ドイツ的な重厚なスカラーシップを感じさせる筆致。

パラケルススの思想を支える主題的な柱の一つに、大宇宙と小宇宙の対応関係というものがある。人体は小さな宇宙であり、その周りの大世界で起きていることに影響され、二つの世界の構造や出来事は照合しあう。たとえば、大宇宙で生命を育むのは「水」であり、それが「マトリクス」になるが、人体においても生命を育む「マトリクス」(子宮)があり、その中には羊水がある。(キアヌ・リーヴスが主演した映画は、こういうことも下敷きにしているのだろうな、きっと。)

この両宇宙の対応説は、さまざまな場所に強調を置くことができる装置だけれども、パラケルススの場合は、自然と人間を肯定し、人間は地球(大地)に根ざした生命あるものであることを強調する方向に向かった。だから、人間を金属形成のプロセスになぞらえて理解し、大地がその子宮の中から与えてくれるもの、すなわち金属を人間の病気を治すのに使うことができた。パラケルススには、生命に横溢するものとしての世界、造形力としての生命という、生命の力を神的なものとして直接経験して感動するという特徴がある。ここからも、彼の「自然の光」の世界の中心には、生きた人間・医療と自然科学の対象としての人間があるのである。

パラケルススには「自然の光」という概念があって、これは神の光・啓示の光とは区別されるべきものだが、この自然の光を点火するのは精霊である。自然とそれを探求する行為は宗教的な意味合いに満たされているのだ。医師の倫理も同様である。それは、治療は同時に福音であり、司牧であり、救済である。医師の職業は、神に定められた使徒職であり、偽医者に欺かれて苦しむ貧しい人々を救済・治療し、貧しい民衆を浄福の道へ導くのが医者の仕事である。

しかし、この貧しいものたちとの密な接触は、パラケルススの関心が自然科学・医学から神学へと移っていく時期であった。スイスやチロルで農民や羊飼いや労働者に立ち混じってすごした時期が、医学から神学に強調を写す時期でもあった。