パラケルススとゲスナー

コンラート・ゲスナーによるパラケルスス批判を分析した秀逸な論文を読む。文献は、Webster, Charles, “Conrad Gesner an the Infidelty of Paracelsus”, in B. Schmitt ed., New Perspectives on Renaissance Thoughts (London: Duckworth, 1990), 13-23. 筆者はイギリスの科学史・医学史研究の第一人者の一人。 

コンラート・ゲスナー(Conrad Gessner, 1516-65) はスイスの博物学者。1560年代に、パラケルススの死後20年ほどして、その著作が出版されて「パラケルスス主義」がヨーロッパ各地で影響力を持っているのを憂えて、パラケルスス批判をさまざまな形態で執筆した。ゲスナーは、パラケルススを自然魔術ではなくて悪魔的な魔術を行った邪悪で危険な魔術師とし、キリストの神性を否定するドルイド派やアリウス派などの異端の徒であるとした。特にスイスとポーランドにはヨーロッパ各地から異端が集まり、ゲスナーはそれを憂えていた。パラケルススファウスト博士の同一視は、ゲーテの『ファウスト』に代表されるように、以後西洋文化の一つの重要な主題になるが、これもゲスナーの特徴づけによるところが大きい。

しかし宗教的・思想的にパラケルススを口を極めて批判する一方で、ゲスナーはパラケルススの化学的に精製された薬品、特に金属由来の薬品の効能については認めている。これは、ゲスナーが属する人文主義派のアプローチに見られる、古典医学を尊重しながらそれを完成させていこうとする基調方針とも重なっていた。アンチモニーなどの調合は、古典にインスピレーションを受けながら、パラケルススが完成させた手法であった。ゲスナー自身、化学的に精製された医薬の処方を集めた小冊子を完成させ、これは古代のディオスコリデスの『薬材学について』の鉱物的な薬材に関する部分を凌駕するものとして、ゲスナーの書物の中ではもっとも人気が出て再版される書物となった。

すなわち、ゲスナーはパラケルススの思想・宗教の部分を激しく批判しつつも、その治療法、特に薬品の作成法については、その価値を積極的に認めていた。この背景には、当時、ペストや梅毒をはじめ、悪性の難治疾患に直面していたヨーロッパの医学にとって、治療法の改善が重要な課題になっていたことがある。そして、ゲスナーは、宗教的な異端の危険を冒してパラケルスス派に全面的に入信せずに、その技術的な部分を活用する道筋を示したのである。