宮廷のパラケルスス主義者

必要があって、イギリス宮廷のパラケルスス主義の医者についての研究書を読む。文献は、Trevor-Roper, Hugh, Europe’s Physician: the Various Life of Sir Theodore de Mayerne (New Haven: Yale University Press, 2006)

テオドール・ド・メールン(と読むのだろうか?)はジュネーブで生まれてモンペリエの医学校で学び、パリでフランス王や皇太后などの宮廷侍医をつとめ、1610年にイングランドとスコットランドの王であったジェームズI世の宮廷侍医としてロンドンに招かれた。パラケルススと錬金術の影響を受けた、広義のパラケルスス派の医師として、パリでは大学の保守的な医者たちと激しい論争を行い、ロンドンでは新しい化学的に精製・調合された革新的な薬局方を製作するなどの仕事をした。

この、正直言って地味めな医者を素材にして、宗教改革期のヨーロッパの政治と宗教と思想の中において超一流の伝記に仕立て上げたのは、オクスフォードの欽定講座の教授だったトレヴァー=ローパーの緻密なリサーチと、同時代の状況に関する博識と正確な把握、六つの国の古文書館の八つの言語の手稿を読み解く能力、そしてあまりに名高い才気と麗筆である。マルクス主義嫌いとして有名で、イギリス革命論や17世紀危機論の一連の論争で、政治や思想を階級闘争の視点で捉える論敵の研究者たちを滅多切りにしたので、歴史学者たちからは敵意と畏怖が入り混じった感情で見られているが(彼がヒトラーの日記なる贋作を真作と宣言するという大ポカをやったときには、ひそかにほくそ笑んだ学者も多かったのだろう)、この書物を読むと、その才気と細部の的確な読みとはじけるような洞察を組み合わせて、流麗な記述を流していく筆の力は、やはり読んでいてため息が出るほどである。イギリス、フランス、ドイツ、スイスの革命か改革を目指すプロテスタントたち( Calvinist International という洒落た表現をしている)が、それぞれの国内と国際的な政治の力と結びつきながら、パラケルスス主義を標榜して医学の理論を根底からくつがえそうとした様子を描いた傑作である。

この研究は、イギリスでパラケルスス主義が栄えた基盤として、徹底的な社会改革を求めるプロテスタント左派の興隆を強調するウェブスターらの視点を補完する意味も持っている。 新しい運動における階級闘争ではなくて宮廷の役割を重視するあたりは、昔の論争を彷彿とさせるといえるんだろうな、きっと。