デンマークの聖なる鉱泉

必要があって、初期近代のデンマークにおける鉱泉の歴史を研究した論文を読む。文献は、Johansen, Jens Chr V., “Holy Springs and Protestantism in Early Modern Denmark: a Medical Rationale for a Religious Practice”, Medical History, 41(1997), 59-69. 地味な国の話題だけれども、よく参考文献に挙げられている傑作。

デンマークには現在650もの「聖なる鉱泉」の跡地が確認されている。これらは、その泉に詣でたり、泉の水を飲んだり浴びたりすると、難病が治るなどの不思議なご利益があると信じられていた泉である。これらの多くは中世起源であると思われがちだが、考古学的にいっても神学上の議論を見ても、中世に聖なる泉が重要であった証拠はない。しかし、1560年代以降、泉は急速にクローズアップされる。

宗教改革の後、まずは泉に対する敵意がこもった反対論が現れる。1570年に王のフレデリック二世は、泉に特別な力が宿っているという迷信を攻撃する布告を出す。これは、カトリックの時代には教会によって人々に注入されていた奇跡への信仰が、宗教改革によって禁止された結果、人々が信仰の焦点を教会が認めた奇跡から新しいものに移した結果、泉の不思議な力が「新たに」信仰されるようになったからだという説明を著者はしている。初期近世の民衆文化が、宗教改革を背景にして新しい聖なるものを作っていくクリエイティブな側面があったという言い方もできるだろう。

しかし、この泉に対する王や改革派教会の敵意は、すぐに譲歩と方向転換を迫られることとなった。1640年には、国王のクリスチャン四世は、有名な解剖学者のバルトリンに従って、有名な聖なる泉であった ヘレーネ (Helene) を訪れ、その水を飲んだ。翌年にも1644年にもその水をわざわざ宮廷に運ばせ、1645年には7人の医者に命じて、その金属と鉱物を分析させている。その分析の結果自体は残っていないが、王はそれに満足し、1650年にはヘレーネの泉にいたる道路を整備するよう命令している。

この方向転換の理由は、一方では「新たな」民衆信仰が根強かったからだが、それより興味深いのは、神は、みずからの被造物としての自然の中に、人間の役に立つもの、病気を治すものを置いてあるはずであるという思想である。もちろん神は直接人間に介入して病気を治すこともできるが、神が造られた自然の中の薬を通じて人間の病気を治すこともできる。(泉で直される病気の多くが眼病で、水であらうことが当時の眼病に即座に著効があったというのはありえる話であると同時に、「めくら」を癒すのは、聖書でも繰り返し現れる神のわざである。)この敬虔な論理は、聖人などの超自然の力を持つ媒介物なしに、自然の中に薬効があるものを探すことを可能にした。神の慈愛と全能の創造者を信じる敬虔さと、水自体が持つ自然な力に癒す力が宿っているという自然主義的な思想が組み合わされて、聖人や土地の守護神でなく、「神」と「水」を信じる態度へと調整することが可能であった。

そして、この鉱物が人間の病気を治すということと、神は自然の中にご自身の署名を残しておいたので、それを明らかにするのが医者のつとめであるという神秘主義が、ヘレーネの泉の近くの教会牧師であったエリッヒ・ハンセン(と読むのだろうか?)が1650年に出版した『聖なる泉について』で明らかである。この著作は、カトリックの迷信批判というよりもむしろ、ルター派の敬虔的な神秘主義とパラケルスス主義を表明したものである。また、鉱泉に含まれている金属で病気が治り、体によいというのは、Urban Hiarne なる有名な医者が書物を書いて、1680年以降には多くの医学学位論文のテーマになっているという。

ヘレーネの泉がある土地は、いまでも観光地らしいです。