エリアーデの錬金術論


ユングパラケルスス論を読んでいて、ずっと昔に読んだエリアーデに似たようなことが書いてあったと想いだした。書棚の奥から探し出して、20年以上も前の自分の幼稚な書き込みに赤面しながら読む。今書いている文章も、20年たつと赤面するのだろうな、きっと。

ある原型なり基本概念なりを発見すると、ギリシア神話もシベリアのシャーマンもチャップリンの映画もそれで説明できて HAPPY! というタイプの物言いは、私が学生の頃にはまだ残照があった。知の祝祭というのかお祭り的な学問というのか、そういった風潮から私自身も離れたし、そういう雰囲気自体が下火になってだいぶ経つと思う。エリアーデは、そういう風潮を代表する学者だった。久しぶりに読んでみて、お祭り的な部分を取り除くと、やはり傾聴に値する鋭く深い洞察があると思う。

ポイントは、金属加工術と錬金術にたずさわる人々を、「物質との関係において、特殊な呪術-宗教的体験を持っている集団」ととらえることである。この宗教性は、物質自体に付与された特徴であり、それを操作する人々におきる現象でもある。前者については、金属の鉱石は、地中で生きていて成長する、ある種の生命体であり、地中に隠されている神聖なものだと考えられていた。そこには、金属は、地中という世界の子宮にあたる場所で成長する胎児のようなものだという大地母信仰も重ねられていた。地中から鉱石をとりだしてそれを純粋な金属にする金属加工術は、聖なるものに対する関係であった。一方、この聖なるものを扱う錬金術は、錬金術師の身体と精神を変えるとされた。そこには、鉱物と人体を照応させる小宇宙-大宇宙対応説の影響もあった。

一番面白かった洞察が、錬金術と世界創造の反復の話である。「錬金術師は、自然を変化させる責任をわがものとすることによって、自らを時間の中においた」とエリアーデは書いている。「時間の中においた」という言葉はわかりにくいが、世界がきざむ円環的な時間を、自らの炉や仕事場で再現するという意味だと思う。つまり、大地の奥では成熟するために長い時間がかかる金属の成長と変成を、錬金術師は数週間で完成する。炉は地下の子宮であり、金属という胎児はそこで成長する。錬金術師の装置は、宇宙と世界を創生する行為を反復する場所になり、錬金術師は、造物主に協同し世界の創造を完成するために火をあやつった工人神(プロメテウスのような)にもひとしい存在になる。

エリアーデは、この自然を変成させることができる力の信仰と、時間を統御しようという野望が、錬金術が現代社会に残した最大の遺産であるといっている。その当否はわからないが、これは憶えておこう。とりあえず、宗教改革の時代に錬金術が流行した背景の一つが実感できた気がしたのは大収穫。

画像は、ウェルカム図書館所蔵の17世紀の錬金術の手稿より。意味がわかると面白いだろうけど、わからないです(涙)