パラケルススと近代科学

パラケルススを「その後」の時代と連関させて論じた著作を読む。文献は、チャールズ・ウェブスター『パラケルススからニュートンへ 魔術と科学のはざま』金子務監訳・神山義茂・織田紳也訳(東京:平凡社、1999)。昨日のゲスナーについての論文と同じ碩学の著者で、的確で射程が長い洞察に満ちた名著。

歴史学者たちの間でも、パラケルススは、近代化学の先駆者なのか、中世の神秘主義的な韜晦的な思想家なのか、あるいは医療倫理の先達なのか、議論が分かれるところであるが、ウェブスターは、そういう狭い視点で過去の科学者・医学者を見ることに否定的で、「その時代の色々な状況全体の中で」過去の科学者を理解する過去30年ほどのイギリス科学史の動きを牽引してきた。これは、それ自体としてきわめて正しい態度であるし、イギリスの科学史研究が制度的に再編されて歴史学科の中で生き延びなければならなかった時期には、科学史を歴史研究の中に知的に組み込む仕掛けとして重宝された。

というわけでウェブスターは「パラケルススからニュートンまで」の時代におけるパラケルスス派の思想を、その時代にとって重要だったパラメーターの中で理解する。そのパラメーターの一つは予言であり、終末論であった。天変地異や異常気象に見舞われて社会は混乱し、戦争や農民反乱は、神聖ローマ帝国の崩壊と教皇権の壊滅の兆しと結びつけられ、ひいては世界の終末と千年王国の到来が近いことを論じるものが多かった。そして、パラケルススの同時代にはパラケルススは主として予言・天文学に関する論考で知られていた。これらの終末論の意識は、政治思想・宗教思想にも深い影響を与えたが、科学にも大きな影響を与えたという。つまり、ヘルメス主義の秘伝を学んで優れた自然魔術家になることは、選ばれしものであることの徴であり、堕落の悪影響から脱して原初の人間による自然支配を回復することのしるしである。自然の知識を得て、実験科学のわざをマスターすることは、もちろん実利的なリターンもあったが、それ以上に自らの救済と運命を左右する、個人の形而上学にかかわる問題であった。 

パラケルススの民間医療との親和性についても、鋭い指摘がされていた。無学な人々が徳を持ち、有用な知識を持っているというのは、かつての革命的メンタリティを持つものが常套的に唱える主張である。これを根拠にして、貧しいものの地位を上げる行動へと到るからである。(日本のマルクス主義の医者たちが、労働者が持つ民衆医学知識を重んじたといえば、そうではないかもしれないけれども。)たとえば鉱山に行く。そこで労働者が金属を抽出している方法や、その地域の病気を調べると、それまでの医療が主軸に据えていた「学識」的な書物に書いてあることよりもはるかに多くのことを知ることができるのである。当時のドイツ人から見て、2000年前の南ヨーロッパの社会状況を念頭に描かれた古典の学識を、彼らの問題に取り組むためのモデルにすることには、大きな違和感があった。

パラケルススの特徴は、この民間の医療実践についての革命的なヴィジョンを、特定の党派的宗教運動と結びつけなかったことである。(この洞察は、言われてみれば当たり前のように聞こえるかもしれないが、その成熟した的確さは、ため息が出るほどだった。)

他にも、17世紀のイングランドにおける、アイルランドを経済発展させるための交易誌としての自然誌の発展や、パラケルススとヨハン・ヴァイヤーとの関係なども、読み応えがあった。