清潔とイタリア・ルネッサンス

未読山の中から、イタリア・ルネッサンスの清潔の文化史を読む。文献は、Biow, Douglas, The Culture of Cleanliness in Renaissance Italy (Ithaca: Cornell University Press, 2006).

文学資料に基づいた文化史で、とても読みやすい優れた研究に仕上がっている。基本的な概念としてはメアリー・ダグラスとカーニヴァレスクで、特に目新しいものではないけれども、著者の力量と学識が優れているので、いちいち的確に事態を説明されているという印象を持つ。イタリア・ルネッサンスが「清潔」を重んじていたことを、三つの面白い事例の分析を通じて論じる形式を取っている。第一の例は、街の清潔さの概念で、ここにはもちろん当時の一大関心事だったペスト対策ということもあるけれども、都市のよき統治と境界が定められた階層秩序の表現としての「清潔さ」が重要であった。(労働者の妻が汚れた格好をしているのはかまわないが、貴族の女性が汚らしい格好をしていてはいけないという発想である。)

第二の例は、洗濯の問題である。当時のイタリアでは石鹸 sapone の生産がはじまり、最初はジェノアヴェニス、後には全国の都市で石鹸が生産されるようになり、「鎖」「松かさ」「太陽」「百合」といったブランドも存在した。それとともに、この石鹸を用いて衣服を洗うことの美徳が書物でたたえられた。(当時の sapone は、体ではなくて衣服を洗うものだったらしい。)ところが、不思議なことに、この洗濯の仕事を実際にする洗濯女についてはあまり語られていない。洗濯女たちは、ちょっと信頼性に目をつぶってアレッティーノを信じるとすれば、多くはもと売春婦であり、その罪を洗い落としているのだといわれたような、いかがわしい女たちであった。 いかがわしいために明示的には語られない女たちに依存した「清潔」(特に衣類のそれ)が声高に高尚な文献の中で語られるという特徴があったという。

第三の例は、便器・下水溝の問題である。家の中に便所をつくり、糞尿を中庭や家の間の溝にためておき、それを川に持っていって流すことは、都市下層民である掃除夫に任されていた。彼らは、汚わいと常に接触する穢れた存在であると構想されていたが、そこにも宇宙論的な想像力があり、地獄は魔王の肛門と直結しており、地獄は巨大な肥溜めであるという(なんて恐ろしい・・・)イメージがあった。

この三つの例がどう関係してルネッサンスの「清潔」の全体像を作るのかということは良くわからないけれども、それぞれの事例の分析はとても鋭くて明快。