新着雑誌から、20世紀初頭イギリスの神経衰弱を論じた論文を読む。文献は、Loughran, Tracey, “Hysteria and Neurasthenia in Pre-1914 British Medical Discourse and in Histories of Shell-shock”, History of Psychiatry, 19(2008), 25-46.神経衰弱やヒステリーといった医学概念を鋭利に分析して、これまでの20世紀イギリスの精神医学史のヒストリオグラフィの一部を完全に書き換えた傑作で、この問題に興味を持っている研究者には必読。マンチェスター大学の博士論文だそうだけど、このすぐれた論文を誰が指導したのだろう?
20世紀前半のイギリス精神医学史において、第一次大戦、とくにその塹壕戦で多くの兵士と将校が発症した「シェルショック」と呼ばれた病気がはたした断絶が強調されてきた。それまで身体的なパラダイムの中で病気を理解してきたイギリスの精神医学と社会が、心理的な枠組みを導入するようになった転換点として理解されてきたのがシェルショックという現象の観察であった。この史観をほぼ完膚なきまでに批判しようとしているのがこの論文である。
論点は三つ。まず、第一次大戦までイギリスの精神医学とその周辺が、心理的な精神病の説明を拒否していたというこれまでの説が否定される。その鍵は、functional disease (機能的疾患)という医学(史)の教科書で必ず説明される基本概念である。これは organic disease (組織的疾患)と対比される概念で、この文脈では、身体の組織に病変が観察されないものをさす。イギリスの精神科医たちは、神経衰弱もヒステリーも、機能的な疾患であることを受け入れていた。これらの病気には組織的で身体的な基盤があるとは思っていたが、その証拠が不在である状況においては、彼らはフロイトやジャネをはじめとする大陸の心理的な神経症のパラダイムに対して、オープンな態度をとっていた。フロイトらの心理学的な原理を拒んでも、神経衰弱に対する洞察を部分的に採用し、身体パラダイムの中で、ピジン的なフロイト主義・心理主義を発達させていたのである。第一次大戦の前にはすでに、イギリスの精神医学には心理的な理論の断片が数多く入り込んでいた。
第二に、神経衰弱という複雑で無定形といってもいい疾患のコアが定められつつあったという点である。神経衰弱は、フロイトが問題化して有名になった「不安」などの心理的な症状を持ち、それらが注目されがちだが、身体的なパラダイムを奉じていたイギリスの精神科医たちにとって、神経衰弱をまず「神経の弱さ」という形で、コアとなる身体の現象を参照して定義するのが自然であった。その結果、随伴するさまざまな心理的な症状は別の精神と神経の疾患へと再分配される。それと同時に、神経の弱さというコアを設定し、それ以外の症状は個人と状況の文脈によるものだという形で、医者と患者の双方に大きな自由度を許す診断名が確立される。
第三のポイントは、これまで論じられてきたヒステリーと神経衰弱の対比について。ヒステリーは女性と低級な存在に多い病気、神経衰弱は男性エリートの頭脳労働者の病気というイメージの対比はしばしば語られているが、この両者は共通の基盤を持っていた。それは、神経の弱さと過度の消耗を基盤にする「体質」である。体質は、遺伝によっても伝達されるし、また環境を通じて獲得もされるということで、変質(degeneration) という当時の流行概念とかかわってくる。この概念を通じて、ヒステリーも神経衰弱も、どちらも国民や民族への脅威として言説化される。そして、神経衰弱は、たしかに高度な文明の病であるが、一方でこれは変質と衰退と原始的な状態へ退行をあらわす記号ともなるのである。