日中戦争・太平洋戦争と神経質

和田小夜子「支那事変及び太平洋戦争を含む最近10ヶ年間に於ける神経質患者の消長」『精神神経学雑誌』49(1947), no.12, 50-53.
<戦争は、国民の精神を健康にしているという議論も存在した。たとえば、1944年に執筆された論文では、東大の精神科外来の統計を取った精神病医は、日中戦争・太平洋戦争によって、国民の精神に積極的な緊張がもたらされ、個人主義的・自由主義的な傾向が抑えられるので、神経質・神経衰弱といった、積極的な意志の欠落に原因を持つ精神疾患・症候群は減少したと報告した。この減少は、戦争が作り出した心理構造であると論じられた。すなわち、昭和12年の事変勃発以前に存在した虚構的な華やかさや個人主義的な傾向は、国民に神経質系の疾患や愁訴を作り出していたのに対し、事変と太平洋戦争は、それとは違った、集団的な目的に邁進する心理構成を作り出したから、神経質系は克服されたと分析されている>

日中戦争・太平洋戦争が国民の精神にいかなる影響を与えたのかを論じた精神医学的論考の一つ。これは戦闘員の精神状態ではなく、非戦闘員の精神状態を論じたもの。統計的な手法を用いており、データは東大精神科外来の新来患者のうちで「神経質」と診断された患者の数である。なお、出版は1947年だが論文受理は昭和19年8月20日で、統計データは昭和19年3月末日までのものを用いているから、昭和19年の春から夏にかけて執筆された論文である。

ビアードの「神経衰弱」に起源をもつ症候群は、体質性神経衰弱、神経衰弱性反応、神経質など、さまざまな名称で呼ばれている。その原因論も各種あったが、肉体的・精神的過労のうえに、事態を好転せしめようとする積極的意志の貧困、希望の喪失、目的の不安定などの心的状況が主要な誘因となっていることは一般に認められている。それならば、事変・太平洋戦争を経験した時代によって、国民の神経質性疾患への罹患はどのように影響されたのだろうか?特に、その前の時代が、「華やかな仮面の裏で、入学難、就職難、生活難などにあえぎ、また一般的思想的風潮が統一されていなかった時代」であり、戦争がはじまってから、「不自由で困難ではあるが、一つの目標に向かって努力するよう指導された時代」であることを考えると、この時勢の変化は、神経質の罹患に大きな影響を及ぼすはずではなかろうか。

この前提のもとに東大外来のデータを観ると、結論を言うと、事変・戦争が始まると、たしかに神経質患者は減少している。昭和11年度には434人もいた神経質・神経衰弱の男子患者が、12年度以降は激減して、昭和18年度には234人になっている。これは戦争によって、アット・リスクの青壮年層が減少したことも多少の貢献はしているが、女子でも減少しているし、年齢階層別の分析などをすると、たしかに、戦争が神経質患者を減少させている。この原因は、戦争によって「緊張した心持」が国民の間に作り出されたことである。非常時・国家の岐路といった指導精神は、国民各自の胸底に多少は存在した自由主義的な個人主義に掣肘をくわえて、強い国民的な決意が促された。この心理状態は、神経質・神経衰弱の発病を押さえる機制をもつ。さらに、軍需産業への動員は、多少の苦痛に対して診察を求めることを断念し、あるいは我慢し、あるいは乗り越えることを可能にした。神経質・神経衰弱は、心理構成によって増悪・軽快のいずれにも変化するのであるから、戦時中の減少は、やはり国民の精神の積極的緊張、「必死の精神的な心構」が大きな役割をしめたのであろう。