戦争と神経に関する<疾病的な予測>という重要な概念―ドイツのワイマール共和国とナチスについて

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h-madness からもう一つ。こちらは20世紀の戦争に関する学会の報告。素晴らしい内容と視点で、症例誌から重要な概念を取り出すことを可能にするから、ぜひ読んで欲しい。

神経の文化・社会的な位置づけの読み方を学ぶことができる。<神経は何か?>という問いはもちろん科学的な重要な側面を持っており、そこで明らかになる部分はもちろんある。第一次大戦の戦場という、過酷で、長期で、疲弊させ、苦悩を与える環境で暮らしていると、神経を病んで戦争神経症にかかるという事件は、科学的・医学的な要因が重要な役割をはたす問題である。

それと併存して、<神経と個人と社会はどのように関係するのか>という文化と社会の方向からの予測も含まれる。ここでは、ある団体なり社会なりが持っている神経が何をするかに関するあいまいな前提である。ワイマールとナチスという異なる文化的な期待、疾病的な予測を持つ団体があり、ナチスが政権をとり第二次大戦を通じた時期は、その予測がかなり変わっていた。同様に、日本においても、日本軍が太平洋戦争の前に戦争神経症を否定する身振りをとったことは、同じように予測を変えていた。怖いと神経症になるという発想は軍隊ではできないし、兵士もその予測でふるまっていない。

症例誌にはもちろん患者が何を怖がっているのかという語りがある。これが患者本人なのか家族なのかも重要な問題だけど、それはとりあえずおいて置く。人々が何を怖がっているのかを軍と関連させると、どの程度重要だったのかという疾病的な予測ができる。