鍾乳石と未開精神

必要があって、石についてのアンソロジーを読む。文献は、アンドレ・ブルトン他『書物の王国 12 鉱物』(東京:国書刊行会、1997)

『書物の王国』というのは、「架空の町」「夢」「美少年」といった主題を選んで、それに関する短い印象的な短編や短い評論などを古今東西から集めた、とてもおしゃれなアンソロジーのシリーズである。その「鉱物」の中の「殺生石」の民俗学の短い評論が飲用されていて、気になったので借りて読んでみた。その評論自体が伝えている話は有名で、中国の狐が美女に化けて皇帝をたぶらかしていたが、照魔鏡で正体を見破られ、逃げ延びて日本に来た。その狐はふたたび美女に姿を変えて京都で悪さをしていたが、またも見破られて那須に行って巨大な狐となって暴れていたが、魔法の弓矢で退治され石となった。しかし、その石も毒気を噴いて人々を殺生していたという話である。その妖気を吹く石を有徳の僧である玄能が粉々に打ち砕き、ついに狐を征伐したという話である。面白いが、私がもしかしたらと期待していたものではなかった。

他の章も面白そうなので少し読んでみた。ピエール・ガスカールという20世紀のフランスの小説家の『箱舟』という作品の中の章があって、「鍾乳石」というタイトルがつけられている。そこに、ちょっと面白い記述があったので。

「鍾乳石や石筍の形成を支配する非合理的なものは、原始芸術を支配する非合理に近い。地底で作られる創造物は、たいていの場合トーテム風である。・・・ 鍾乳洞で、われわれに親しい物理法則に関係あるものといえば、この垂直性のみである。人間は、精神を獲得し、自己を確立して、不可能なものと対話しようと志すや、大地を越えて何かを樹立し顕揚しようとした。鍾乳石や石筍が伸びる垂直性は、そういう人間の本能に近い何かを思わせるのである。そのことを除けば、それらの石の中にある一切は、すべて不定形なるものの夢を語っている。それは、最低の未開の段階にある人類に宿る夢、強直症 [ カタトニーのことだと思う ] の精神病患者が見る夢と同じだ。」