「未曾有」と「みぞうゆう」

今日は無駄話。

しばらく前に麻生首相が漢字の読み間違いをしたことが話題になった。「踏襲」を「ふしゅう」とか、「未曾有」を「みぞうゆう」とか、まあ普通に読める漢字で、マスコミや野党の議員やネット上で嘲弄された。おそらく本人が一番恥ずかしかったと思う。

「ふしゅう」は明らかに間違いだと私も思うけれども、「未曾有」を「みぞうゆう」と読むのが、しつこく愚弄されなければならないほど明らかな間違いなのか、ちょっと気になっていた。といっても、麻生首相を弁護したり、野党やマスコミに逆襲をかけたりしたいわけではないので、何もしないで放っておいたところ、たまたま、必要があって中江兆民『一年有半・続一年有半』を岩波文庫で読んでいたら、解説の井田進也さんという学者が、兆民が漢字にふった「ふりがな」の多様性に触れていて、巻末に兆民の「ふりがな」一覧を載せていた。「もしかしたら・・」と思ってみてみたら、兆民が「未曾有」にふった「ふりがな」があった。

それによれば、兆民は「みそうゆう」「みそう」「みぞう」「みぞうう」「みそゆう」の五種類の読み方を用いている。麻生首相の「みぞうゆう」は、この五種類には入っていないけれども、かなりいい線は行っている(笑)。これはもちろん想像だけど、「みぞうゆう」だって、その気になって調べれば、明治の文豪や知識人が使っている例を見つけられるかもしれない。

「ふしゅう」がなければ、麻生首相の「みぞうゆう」も、辞書に書いてある読みとは違うけれども、あえて、日本の民主主義の元祖の中江兆民ばりの読み方をしたとして、賞賛の対象になったのだろうか。ちょうど、オバマがリンカーンをなぞっているように。まあ、現実味が薄い話だけど(笑)

・・・というようなことを書くと、「あなたは『ふしゅう』を間違いだと決め付けているけれども、『踏襲』に『ふしゅう』とふりがなをふった江戸や明治の知識人もいますよ」とかいう、さらにペダンティックなコメントが来るのかなと、ちょっと期待(笑)