古語辞典を買う。金田一京助監修の『新明解古語辞典』の第三版。ごめんなさい、今日も無駄話です。
新しい辞書や辞典を買って最初に手にとって開いてみて、「この辞典の使い方」を読んでみたり、いくつかのエントリーを読んでみたりして、その一冊の書物の中に詰まっている学識の重さを感じるときは、心が浮き立って幸せになる時間だと思う。 国語学や国文学の碩学が20人くらい英知を結集させて作った辞典を、アマゾンの古書でわずか700円で買える文明国に住んでいる幸福を実感する。 (大学入試センターのスタンプが押してあって、使われた形跡はまったくなかった 笑) でも、この投売り価格は、どちらかというと、悲しむべきなのかな。
深く考えないで買ったのだけど、「歴史的仮名遣い」で引く辞典だった。「ぎょうずい」(行水)で引いてもだめで、「ぎゃうずい」で引かなければならない。コレラと同じ病気だと言われた「かくらん」(霍乱)は「くゎくらん」である。「かんなづき」(神無月)はどう引くのだろうとおもって、現代語そのままで「かんなづき」を引くと、これは見つからない。あれあれと思って「くぁんなづき」を引いても見つからなくて、少し途方に暮れた。これは、「かむなづき」で引くのが正解。
見出し語を見つけるのにちょっと苦労するというのが楽しいんだろうな。英英辞典を引き出したばかりのときに、語義説明の中の単語が分からなくて、それをまた英英で引くという無限循環になることがあった。大学のときにラテン語を習ったときには(結局ものにならなかったけど)、ラテン語には活用や格変化があるから、目の前にある文字列から辞書の見出し語を推理するという作業が必要だった。
古語辞典を読むと、使ってみたくなる素敵な言葉が見つかるというけれども、すごく「きつい」表現もある。例えば「みにくやか」。鮮やか、あでやか、きらびやか、と同じような「-やか」をつけて形容動詞化して、みにくいありさまをさす。もうひとつ「げすばる」。「下種」というのは身分が低い卑しいもののことで、「げすばる」というのは、「下種根性をだす、卑しく振舞う」の意。「げす」関係からは、もうひとつ、「げすげすしい」(いかにもいやしい)という言葉が、パンチ力が強い。
「いとみにくやかなるおのこ、げすげすしきさまにて、書を読みおれり」(笑)