突発性とparoxysm

「突発性」の概念と paroxysm の概念を較べて、分かったことを記す。

医学史家だから「突発性」という語はよく出会う。色々な使い方があるのだろうけれども、「よくわからない」という使い方がされることもある。「がんは遺伝と生活習慣の二つの要因が重要だが、突発性の要因でがんになる場合もある」という使い方だと、「突発性」という語が、遺伝や生活習慣ではないが、具体的に何かというとよくわからない、というような意味である。

突発性発疹」という名前の疾病の「突発性」は、現在では「よくわからない」ではまったくない。現在では、二種類のウィルスが引き起こすものであるとのことが完璧にわかっている。しかし、この疾病が発見されたのは1910年で、その時期にはウィルスが起こすということなどはまったくわからなかった。それ以外のことはかなりきちんと把握していた。罹患の年齢は何歳くらいか、季節的にはどの時期が多いのか、症状の特徴はどのようなものか、そのようなことを特定して疾病を位置付けることができた。1980年代の末に病原体のウィルスが特定されるまでには「突発性」であると呼びたくなる気持ちがとてもわかる。すでに知られている病原体ではなく、病原はよくわからないから「突発性」と呼ぶ。この部分は想像だけど、医学の黄金時代と呼ばれる時期にふさわしい謙虚さと、この部分はわかっているという自信の、二つの考えが両立している。なかなかいい。

突発という感じは、突然の、思いがけない、前後の連絡を欠いて、急に起きて、などの意味があるから、ある種の規則を知っており、それと違う現象が起きているという意味になっている。これも「突発性発疹」にふさわしい。これは突発なのであるというときには、ある部分が分からないという意味である。

日本語の突発性を和英で引くと、もちろん sudden という語もあるが、医学系では paroxysm があてられている。これらのギリシア系の医学概念は、どれも理解しはじめると楽しい。OEDで引くともちろん医学系の意義が最初に出てくる。 ここでの paroxysm の意味は、規則があって、それが非常に鮮明に、いつものリズムを壊すような激しさで、現れてくるという意味で現れる。「しばしば定まったコースを再現するような疾病において、病気の激しさや厳しさが強くなること。ある攻撃が急に復活すること、たとえば咳である。そして疾病が急に激しくなることをいう」 OEDではこのような感じである。私の頭に浮かぶのはマラリアで、三日熱か四日熱かなど、どのようなコースなのかが重要であり、そこで症状が激しく出てきたりする。そして、例文にはもちろんマラリアが言及され、予想よりも発熱が高いという意味になっている。