ボヘミアのプラハに独特のルネサンス文化を花開かせたルドルフ二世の宮廷についての古典的な研究書を読む。文献は、ロバート・J・W・エヴァンズ『魔術の帝国』上・下、中野春夫訳(東京:ちくま学芸文庫、2006)同書は、政治と美術と科学の歴史をダイナミックに織り合わせたボヘミア地方の文化史研究だけれども、事情があって(笑)、科学研究、特に錬金術にかかわる部分だけ読む。学生には、科学の部分だけ歴史や文化や社会の全体から切り離してはいけないと言っているのだけれども(笑)。
王権神授と錬金術の関係について面白いことを言っている。錬金術は「秘教」としての性格を持っていた。それは必然的に彼らを少数者にし、場合によっては異端的な集団とした。それゆえ、彼らは身分が高い人間の庇護を必要としており、君主がその役割を果たした。ドイツの領邦君主たちの多くがルター派を選んだことが示すように、宗教的な異端は、彼らにとっては選択肢の一つであり、錬金術師を選ぶことにはさして抵抗はなく、むしろ魅力すら感じていた。
一方で、君主たちも錬金術を必要としていた。これは、金を作るとか鉱山開発ができるとか、そういう経済的な動機や欲望むきだしの関心もあるが、それと少なくとも同じくらい重要なのは、王権神授のミスティークであった。当時の王たちにとって、王権の象徴的な意味づけが重要であった。 王権を、神が支配する宇宙と世界の中心におき、世界の秩序のしくみを明示して、王がそれを支える存在であることを示す必要があった。錬金術やオカルト哲学は、神と宇宙が万物を浸透し、事物は照応しあって秩序が作り出されていることを示すのに長けていた。つまり、王たちは、世界劇場の中心で自らを演出する必要があり、錬金術師たちは、その世界全体の仕組みをダイナミックに説明する知的枠組みを作ることができた。
錬金術は「象徴を生産する装置」であったからこそ、象徴を必要としていた当時の王権にアピールしたという説明は、とてもよく分かった。 これは、いただきましょう(笑) このような洞察が何気なくつまっているのが、名著であるゆえんなんだろうな。
画像は、アルチンボルドによる有名なルドルフの肖像画。「お菓子でできたお城に、果物でできた王様が住んでおりました」っていう御伽話に出てくるよう(笑)