リキッド・モダニティ

未読山の中から、売れっ子の社会学者、ジークムント・バウマンの書物を読む。文献は、Bauman, Zygmunt, Liquid Modernity (Oxford: Polity Press, 2000). 『液状化する世界』という邦題で翻訳も出ている。

現代社会を捉えるのに、かつて近代を駆動した「固い体制」が「液状化」した時代である、いや、むしろ、身分制社会を流動化するという意味で近代を開始した「液状化」が、あらゆる領域に浸透したものであると捉える視点が中心になるだろう。

封建制や身分制社会の構造が溶解・液状化されて近代が始まり、個人の運命をあらかじめ定めている制限がなくなった。それに続いて、コミュニティや家庭といった構造も溶解・液状化されているのが現代であると捉えている。その一方で、社会全体のシステムにあたる構造は、個人の生から遠いところに位置するようになってしまった。その結果、個人の生の直近には、構造がない世界が広がっている。かつての「固い」社会は、一度作ってしまえばそのままで自立しているが、「液状化した」社会を、ある形に保つには、常に介入して支えていなければならない。

あとは、「時間」の問題。ある仕事をするのに必要な時間が短縮されるのが近代から現代に一貫した特長であり、近代は「時間の操作」の効率化と、それをめぐる権力闘争を軸にして進んでいるという。

著者が展開する、高校の教科書を読んで書いたような歴史観(笑)は、この際どうでもいい。この手の社会学的な書物を読むときには、現代社会がわかったような気になればいいということと、その問題のありかがなんとなく頭に入ればいいと私は思っている。その意味でとてもためになった。「液状化」という比喩の使い方も面白いと思った。もうひとつ、特に感心したのは、社会についての著名な理論家の書物から、その文脈にぴったりくる引用や議論を引いてくる手さばきだった。