『漢詩一日一首 夏』

ふと気を向いて、漢詩のアンソロジーで、現代語訳と評釈が合体したような本を買って読む。文献は、一海知義漢詩一日一首 夏』(東京:平凡社、2007)。

人は自分ができないことに憧れるもので、私は古典語ができないから、古典文化への憧れが激しい。漢詩というのも、その憧れの中に入っていて、時々漢詩の解説書や入門書を読む。この本は、漢文を一日一首ずつ読んで鑑賞するという形式で、大岡信さんの『折々のうた』を思い出させる。高校の漢文の授業で習ったようなものもちらほらあるけれども、意外性と話題性がある選択が楽しい。例えば毛沢東の「女民兵の詩」などという異色の作品もある。(なかなか上手で、古典を踏まえるという詩の王道を踏んでいるらしい。)


錦瑟 端なくも 五十弦
一弦 一柱 華年を思う
荘生の暁夢 胡蝶に迷い
望帝の春心 トケンに託す
蒼海 月明らかにして 珠 涙あり
藍田 日暖かにして 玉 煙を生ず
此情 追憶を成すを待つ可けんや
只だ是れ 当時 已にぼう然たり

李商隠の「錦瑟」という詩で、昔から愛用していた、女性の思い出が残る琴を抱き、その弦の手触りを確かめながら、華々しかった年月を想うところから起こされる。荘子胡蝶の夢のように、さだかでなく、しかし、トケン(=ホトトギス)に身を変じた伝説の皇帝に似て、その想いは変わらない。蒼い海を月が明るく照らす夜、人魚が流す涙は真珠となり、美玉を産する藍田山に、暖かい日がさすとき、玉は煙となって消えうせる。この、若い日を思うあやしい想いは、追憶だからこそ、あやしく揺れるのだろうか。いや、あの当時、すでに朧のような、夢心地の経験だったのだ。