医者による医学概論

必要があって、砂原茂一『医者と患者と病院と』(東京:岩波新書、1983)を読む。実は、これは本当に恥を忍んで告白しなければならない事だが、私は、この好著を読んだ事がなかったどころか、その存在すら知らなかった。著者が書いた結核学の歴史についてのテクニカルな記事を読んだときに、その水準の高さに驚いて、著者名で検索して初めて知った書き手である。著者は1908年に生まれ、33年に東大医学部を卒業して結核医となった。

知的な系譜でいうと、結核学者ということもあり、ルネ・デュボスにかなり近くて、臨床のエコロジーの視点を持っている。医者にとっては、自分が診る患者がどんな病気にかかっているかによって、医療のあり方を考え直さなければならないという議論は、圧倒的な説得力を持つ。だから、この著者も、急性感染症と細菌学の単純な医療のモデル(特定病因と、血清に代表される特定的な治療法)と、それが可能にした、医者が大きな権威を持って「一時的な支配」を行う医者=患者関係を批判して、それに変わる、慢性病の時代の医療と医者=患者関係を構築しようと呼びかけている。民主主義や福祉国家よりも、疾病構造転換のほうが、医療改革の理由付けとして強い説得力を持つことが背景にある。もちろん、この著者が民主主義者でないとか福祉を軽視しているとかいうつもりはまったくないけれども。

社会における医者と医学の役割だとか、そういったことももちろん考察するが、この書物のより大きな魅力は、著者が臨床の基本的な構造を肌で実感してよく知っていること、そして、細菌学の時代から慢性疾患と障害学の時代までの変化を、第一線で経験していることである。ただ経験しているだけでなく、その経験に深い洞察も加えている。その意味で、これは臨床と基礎医学に重心を置いた、「医者でなければ書けない医学論」になっていて、人文社会系の学者が書く医学論が増えている現在、とても貴重なものになっている。