必要があって、ナラティヴ医学の標準的な教科書を読む。文献は、Charon, Rita, Narrative Medicine: Honoring the Stories of Illness (Oxford: Oxford University Press, 2006). 著者は、この20年ほど、「文学と医学」といわれる学際的な領域を牽引してきた医学者で、その学識を一冊の書物に纏め上げたのは、これが初めてだと思う。私は、この領域の専門家ではないけれども、折に触れて彼女が書くものに感銘を受けてきたので、この書物はある意味で心待ちにしてきたものである。期待通りのわかり易さと、読み手を鼓舞するようなオプティミズムに満ちた書物だった。
ナラティヴ医学というのは、医学の一つの方法というか分野であって、実用志向が非常に強い。これが、医学について散々論じた末に、責任を持って患者を治療したりケアしたりする必要がないし、その立場に身をおくことを考えないで議論できる人文社会系の研究者(もちろん私もその一人ですが)にピンとこないところかもしれない。医療が、生物学的な意味での疾病に狭く集中するだけでは、必ずしも質が高い医療とは言えないことは、少なくとも欧米の先進国ではほぼ普遍的に受け入れられた。患者中心の医療だとか、バイオ・サイコ・ソーシャルだとか、技術偏重の医学から抜け出すためのヴィジョンは確立している。そのためのテクニックとしての「ナラティヴ」という概念装置で、医者の質を向上させようというのである。
ナラティヴというのは、もちろん物語りという意味で、患者の苦痛を理解する能力、共感する能力、患者に誠実さと勇気を持ってよりそう能力、このような、臨床医として必要なスキルは、物語に耳を傾け、それを理解する能力とともに伸びるという。その理由は、医学というのは、医者たちが思っている以上に、物語によって分節されている営みだからという。
文学理論であるとか、哲学・思想などを使っているけれども、ここに、いわゆる文系の学問の洗練された洞察を期待するのはもともと間違っている。彼女は、この書物の中で、人間としての魅力を備えていて、このような臨床医になりたいと学生に思わせ、このような医者にかかりたいと患者に思わせるような、そういう医学教師像を提示している。それ以上でもないし、それ以下でもないし、それ以外でもない。
一つ、この書物で使われていたエピソードを使って無駄話を。お医者さんが、初めて診る患者に「どうされました?」と聞いて、患者が話を始めますね。これを、英語では medical interview と呼んでいますが、日本語ではなんと言うのかしら?(問診、でいいのかしら?)この途中で、お医者さんが、こちらの話を中断して、「そのとき熱は測りましたか?」とか、「吐き気はありませんでしたか?」とか、質問したりすることがよくあります。これは、1984年の調査だそうだけれども、インタヴューの始まって患者が話し出してから、医者が患者の語りを最初に中断するまでの平均時間は、「18秒」だそうです。これは、確かに短いといえば短い、医者が患者の物語を、それ自体として価値があるものと思っていないことを示しているといえばその通りですが、私の経験に照らすと、まあ、そのくらいかな・・・という気がします。ここをご訪問くださっているお医者さん看護婦さんの皆さん、あるいは患者としての経験でもいいのですが、どうですか、18秒という数字。 自分は、これよりも短いとか、長いとか、中断された事なんてないとか(笑)、あるいは、お医者さんに「そのとき熱を測りましたか?」と聴かれても、「いま発言中です」といって物語を続ける天下御免の無敵の語り手だとか(笑)