お願い:この病気を診断してください!

実は、このブログを訪問するお医者さま、医療関係者の方に、お願いがあります。この病気を診断していただけないでしょうか?今から260年ほど前のイタリアの患者です。文献は、Morgagni, Gianbattista, The Clinical Consultations of Gianbattista Morgagni, the edition of Enrico Benassi (1935), translated and revised by Saul Jarcho (Boston: The Francis A. Countway Library of Medicine, 1984).

必要があって、モルガーニの文通診療のうちの「診療XXIV」を、真剣に気合を入れて読む。「診療 XXIV」は、医者であるジョルジオ・ジョルジが、当時のヨーロッパでも一流の医学教授であったパドヴァ大学教授のモルガーニに、ある患者を照会したことから始まる。患者は、アントニオ・パクローニの息子であり、パクローニはジョルジに30リラを送り、これを謝礼として受け取って助言を与えてくれる大学教授を探してくれるように依頼している。この額は必ずしも高いものではないが、ジョルジはモルガーニに、患者は困っているし、また医療というのは謝礼よりも名誉を重んじるものであるからと書いている。パクローニは、息子の病歴についての記述を同封しており、この記述はそのままモルガーニに送られている。以下は、パクローニの記述をやや詳細にまとめたものです。 

「history」は、まず、28歳の息子の体質を習慣を述べる。特に食欲が異常に激しいことが注目されている。

息子は、18歳になるまでは不規則に大量の鼻血があったが、それがやむと、今度は血が混じった便をするようになるという。これは、体内の悪い血が対外に排出される開口部が、鼻から肛門に変わったという、体液によってつながれた全身のシステムという発想がある。ドゥーデンが描く患者であれば、この流れをフルスといっただろう。

開口部の変化とともに、危険な症状が現れるようになる。パクローニ息子は治療を受けては症状が消失するということを繰り返し、年に何回かのペースで血便が現れる。約10年のあいだ、この血便は特に重い症状を伴わなかったが、1747年の5月(この診療の1年前)には、それまでと違って重い症状が現れる。顔はミカン色になり、胸に圧迫感、胸焼けがし、気分がすぐれず、便に出すものと同じようなものを吐き、のどが渇き、食欲がなく、右肋骨の下部あたりに硬い感じがあり、そこがどくどくと脈打ち、時に頭部にもその動悸を感じる。脈は大きく打つが、右の側の脈は、はりつめた、ぴんとはった紐のような感じを与える。治療には、薄めた肉汁を摂り、硝酸系の飲み物と大麦湯に砂糖をまぜたもので浣腸を行った。

ここでは、患者の顔色という外から観察できる特徴、胸の圧迫感などの患者が感じた身体感覚を組み合わせている。患者の症状の報告については、どれも、history の書き手であるパクローニ父が自分で観察し、あるいは患者に聞いたことだと考えて問題ない。右と左の脈の質感の違いについては、診療した医師の観察を借りている可能性が高いが、その一方で、手紙の該当箇所の文体は、父親自身が触ってその違いを確認したとも考えられる。そして、もちろん、父親にとって注意の中心は、息子の便の中に混じる血である。便として排泄したものと、吐いたものが、同じであるという観察は、開口部が違っても同じものが体内をめぐっているという発想に基礎付けられた確認である。

息子が完全に回復するのには約一ヶ月かかった。血便は7日ほどで止んだが、虚弱感、食欲不振、傾斜を上るときの息苦しさ、頑固な便秘などが残った。これは、ある程度、この患者にとってはいつものことで、下腹部に目立った不具合はなかった。血便から三日目に、症状が悪化したときに、瀉血が提案されたが、以前に彼を診たことがある大学教授が到着し、瀉血は先延ばしにされることになった。

上記のエピソードの10ヵ月後、今年の3月5日に、また同じ血便が現れ、同じ症状が現れ、同じシステムの治療法が行われて治療された。度重なる同じ形のエピソードが同じ季節に現れたことは、父親に治療法についての疑いを抱かせたようである。春と秋に息子は長期の治療を受けてきて、具体的にはどのような内容だったのかは父親は知らないが、瀉血が行われなかったことは確実であると父親は言う。血の流れの不全によって起きた病気に対して瀉血をしないというやや不自然な判断の根拠となる仮定は、この問題の便は黒胆汁性のものであり、色が黒いのは酸によるものだという見方であった。しかし、浣腸をすると、血が腸に滞在する期間が短くなるので、出血がそのような色を帯びず、純粋でにごりのないまま排出されることがわかった。そういうわけで、この仮定は間違っていることが分かったという。なお、数日前に腕から血をとったときには、その血はさらさらとしていたという。

なお、参考になるかどうかは分かりませんが、この手紙を受け取ったモルガーニは、一読してこの病気の正体を見破ったこと、そして、その正体とは、ヒポクラテスの「病気について」の第二巻で触れられている morbus niger であったことを言い添えておきます。