広田, 肇. (2008). 日名子実三の世界 : 昭和初期彫刻の鬼才, 思文閣出版.
日本サッカー協会のマークである三本足の烏(やたがらす)は、大分県出身の彫刻家である日名子実三(-1945)が製作したものである。大分に生まれ、慶應義塾に進んだが、親に無断で退学し、1913年に東京美術学校彫刻科(現代の東京芸術大学)に親の反対を押し切って入学する。父親は仕送りを打ち切ったというから、私としては、息子も父親も好きである(笑)
日名子と長与又三の彫像を二回製作し、東大医学部の附属病院のレリーフを一回作っている。長与の彫像は、1934年と1937年で、東大医学部の学部長として、そして東大総長としての彫像である。モデルとして日名子のスタジオに行くことを長与が行ったとか、総長彫像のときはうまくいかなかったところ、日名子ががんばって長与も気に入ったとかいう記事が新聞に掲載されている。東大医学部のレリーフについては、実は一番早く、1933年に医学部付属病院が新築された際に、外来患者の入り口上部の外壁をかざるレリーフとして<長崎時代>という作品が作られている。描かれているのは、長崎におけるオランダ医との接触である。全体は三部にわかれ、右手に瀉血、中央に砂時計を持つオランダ人、左手にそれを見ている二人の若き武士/医師と町娘が描かれている。画像がちょっと小さいので、よくわからないので、絵葉書を請求してみることにした。