天才と優生学

必要があって、異色の医学ジャーナリスト、田中香涯が優生学に反対した論考を読む。文献は、田中香涯「社会的に必要なる病者」礫川全次編『病いと癒しの民俗学 歴史民俗学資料叢書 第三期 第二巻』(東京:批評社、2006) 103-107 

田中の論理は以下のようなものである。 

人間は動物と違って肉体的な存在であるばかりでなく、精神的な生活をしている。もし、人間が動物と同じで肉体生活を主とするものなら、肺病のような慢性伝染病にかかっていたら、天才・能才であっても、社会より隔離して病種を絶つというのもわかる。しかし、文豪・碩学には、蒲柳・多病のものが多く、病弱にして傑出した才能を持つものが多い。精神病にしても、健全と不健全の間に一定の境界線を画すことはむずかしい。世界に大事業をとげた英雄には「癲癇」が多い。シーザー、アレクサンダー大王、ポーロ、マホメット、ナポレオン一世は癲癇であった。

肉体的には劣等であり、動物的には敗者の虚弱多病の人であっても、その人の思想が多少でも社会の進歩を促すことができれば、その人こそは社会的に必要である。[ジャン・ジャック]ルソーは、優生学者からいわせると、去勢に値する狂者であろう。しかし、彼の偉大な書物はフランス革命を起こした。同様に、ドストエフスキーも癲癇であったが、彼の偉大な小説はロシア文化に貢献した。 

この議論のもとは、きっと、ロンブローゾかなにかだと思う。