『朝鮮の迷信と俗伝』(1913) 朝鮮の京城で出版された。らい病はその先祖を良い墓に葬らなかったから、その先祖の祟りである。故に、その病気にかかれば、墓をよそに移すか、あるいはその死骸をあばいて、骨が黄色に変じているか、あるいは砕けおればその骨をまた元のごとくつなぎ合わせるなり、もし虫などが生じていれば、これは一家全滅の兆なりと悲嘆する。また、らい病は不治の病気であるが、生き胆をとって服薬すれば全快するという。ある若者が道を歩いていると、糸をつけた紙包みに金があって、それを拾おうとして山の手に入ると、突然二名のらい病患者が出てきて、これを殺そうとして小刀を手にしていた。その若者は声の限りに叫んで通過中の人が駆けつけ、患者は逃げ出したという。
天然痘で死ぬものがあると、神がその肉を食うために死に至らしめたのだから、すぐに埋葬せず、村の入り口の樹木にござのようなもので包んでつるし、その肉が腐って骨のみになって初めて埋葬する。天然痘が流行すると、死骸が村の入り口に点々と露出して、惨憺たる光景になるという。
1915年には、朝鮮総督府の警務官の中野有光というものが、朝鮮併合(1910)当時までは、痘瘡で死んだものを木の枝につるしたりすることがよくあったということを伝えている。また、中野によれば、他人の墳墓を発掘したり、死者の肉を焼いて薬用にしたりということがあったという。これらは「内地ではちょっと想像のできない」と言っている。痘瘡で死んだものを村の入り口の木につるすというのは、私は聞いたことはないが、死者の肉を薬用にするということは、日本でもあった行為である。