戦争と神経症

和田小夜子「支那事変及び太平洋戦争を含む最近10ヵ年に於ける神経質患者の消長」『精神神経学雑誌』49(1947), 50-53.

出版は戦後だが論文の受理は昭和19年8月20日であることに注意。「神経質・神経衰弱」系統の病気で外来を訪れる患者が少なくなったので、昭和9年から10年間の東大の外来の診療記録から、神経質・神経衰弱のグループの診断をされた患者の数を数えた論文。戦争が激化した時期のせいか、東大でも満足な研究はできなかったのだろうか。

結論もシンプル。現象としては、支那事変が起きた昭和12年・13年を境にして、神経質・神経衰弱の外来患者は激減している。これは母集団となる青年層が戦争に取られたからでもないし、診断上の手心でもない。これは、非常時、国家の岐路といった指導精神が、国民各自の胸底に多少に拘らず存した自由主義的個人主義的傾向に掣肘を加え、強い国民的決意を促したことに起因する。行動の自由な時代には些少の苦痛にも医師を訪れていたが、総力戦体制が引かれて、診察を求めることを断念し、あるいはそれを我慢し、あるいは精神的な緊張によって苦痛を克服したためであるという。