アラビアン・ナイトの二人の狂人


バートン版のアラビアンナイトの翻訳をこっそり(笑)読んでいる。ちくま文庫で全12巻。シュールレアリストの古沢岩美のイラストをカラーであしらった表紙は強烈なインパクトがあって、さすがにこのカバーは外して持ち歩くことにしている。(けれども、決して捨てはしません 笑)狂人についての素晴らしい話があったので、忘れないように書いておく。

ペルシャ人の国境にあるハリダン諸島を治めているシャーリマン王が老いてから得た王子、カマル・アル・ザマンが主人公である。王子は眉目かたち優れて美しい若者であった。シャーリマンはこの王子に嫁を向かえようとするが王子は聞かず、王の不興を買って牢屋に閉じ込められる。一方、シナの国の内海を治めるガーユル王にも同じように完璧に美しいブドゥル姫という娘がいて、このお姫さまも嫁ぐことを拒んだため、王によって離れ屋の一室に軟禁されてしまい、表向きは悪魔がついて気が狂ったということにしてあった。二人の魔神が示し合わせて、この二人の完全無欠の美の極致である若者を連れてきて、二人並べて眠らせて、片方ずつ交互に目を覚まさせる。最初に王子が目をさまし、横に姫が寝ているのに驚き、その美しさにうっとりとして恋に落ちるが、その体には触れずにただ指輪だけ抜き取って眠りに落ちる。次はお姫様が目をさます番で、こちらも驚き、恋に落ち、指輪を抜き取って、眠りに落ちる。(絶世の美男美女が交互に目をさまして、横で寝ている相手に欲情するありさまは、固唾をのむほどエロティックな描写だが、ポイントはそこではないから省略します 笑) 

一夜をともにして、互い違いに覚醒して恋に落ち指輪を交換した二人は、魔法によってもとの牢屋に戻される。宮殿の離れで目覚めた二人は、どちらも昨夜逢った恋人の所在を確かめようとするが、二人が一夜を過ごしたのは魔法だったので、お付のものは誰も訪れはしなかったと取り合わない。二人ともそれぞれの恋人に実在を固く信じ(証拠の指輪もある)、いらだっておつきのものを打ったりののしったりするので、二人は狂人扱いされて、厳しく監禁される。とくにブドゥル姫は、恋の病がつのり、「うつろになって左右に目をきょろつかせ、着ている着物を裾まで引きさいて」しまう。父王は姫が発狂したといい、首に鉄の鎖をつけて王宮の窓辺にしっかとゆわえて、姫の病気を治した医者は姫をめあわせ王国の半分を与えるというお触れを出す。40人の医者と40人の占星術師が試みるが、みな失敗して死刑となった。

こう書くと、この部分の話のオチは明らかだろう。もちろん、カマル・アル・ザマンがボドゥル姫を探し当て、大切に持っていた姫の指輪を見せ、身分を明かし、二人は結ばれるのである。これで一件落着のようだけれども、この部分は、話のほんのさわりで、これからさらに波乱万丈の物語が待っている。男に扮したブドゥル姫がアル・ザマンに男色を強いる、ものすごくきわどい話もあって、バートンはさぞかし喜びいさんで訳したのだろう、その部分の筆は踊るような勢いがある(笑)

姫が首に鎖をつけて窓にゆわえて監禁されていたという箇所にバートンは註を打って、「これは今なお狂人に対する一般東洋人の取り扱い方である」と記している。もちろんでたらめだけど(笑)、こういうことを、こういう言い方で書いてしまう「勢い」がある歴史上の人物は歴史学者としてはとても重宝する。

バートンの quotablity からもうひとつ。女性のほうが男性よりも情欲が激しいという本文に註を打って(やっぱり、あなたなら、そこに註を打たずにはいられませんよね・・・笑)彼一流の地理学的・気候学的な性欲理論を展開している。一般には(つまりイギリスとヨーロッパ)男のほうが好色で女のほうが子供を愛するが、高温多湿の地域に住む女性の性欲と生殖力は男性のそれをはるかにしのぐ。こういう地域では、隔離や剣なしには、道徳の退廃(つまり女性の姦通)を防ぐことができない。一方で寒冷であれ高温であれ乾燥している地域では、男性の性欲が激しく、この地域では一夫多妻制が取られる。この対比は、ペルシアの中の西と東の対比、アラビアとエジプトの対比、そしてアメリカではユタ州とカリフォルニアの対比によって実証されるという。なお、この議論はバートンの別の本でも大展開しているらしい。

こういう、「国際秘宝館」のパノラマ展示にふさわしい内容のことをまじめに堂々と書く人って、歴史家としてはやっぱり重宝します(笑)

図版は問題のカバー。 このカバーの本を電車の中で読める人はやっぱり少ないと思います(笑)