シャルコーとフロイト

必要があって、シャルコーフロイトの臨床テクニックによってヒステリー患者がどのように構成されたのかという論文を読む。文献は、De Marneffe, Daphne, “Looking and Listening: the Construction of Clinical Knowledge in Charcot and Freud”, Signs, 17(1991), 71-111. 大学院生の頃に興奮して読んだ懐かしい論文である。

シャルコーがサルペトリエールでヒステリー患者に向き合ったとき、彼が用いた方法は、当時の医学の王道であった臨床解剖学的な方法であった。客観的に観察される臨床上の特徴と病理解剖によって明らかにされる損傷を組み合わせて病気の実体を確定する方法である。しかし、ヒステリーにおいては損傷は明らかにされないまま、派手な症状だけが繁茂していった。シャルコーはそこで彼のヒステリー研究の客観性を担保するために、「科学者の網膜」に喩えられた写真を利用して、ヒステリー患者のポーズを写真にとって、それらをならべて定型的なヒステリー像を構成するという手段をとった。このような客観的に目に見えるヒステリー像を抽出するために、患者が発した言葉の内容は、ヒステリーの本質を構成する要素からは除外された。性的外傷を語ったにもかかわらず、シャルコーはその知識をヒステリー理解の中に組み込まず、むしろ除外した。臨床講義でヒステリーの女性患者を学生の前において、「お母さん、私、怖い!」と叫んでいる女性患者の叫びを聞いて、学生に向かって「諸君、この感情の爆発[という症状]に注目してくれたまえ」と得意然としていったシャルコーは、患者の語りの中に巻き込まれず、それから距離をとることが科学を達成する方法だと信じる医学者であった。

一方、シャルコーのもとで学んだフロイトは、ウィーンに帰ってブロイアーとともに診療したヒステリー患者に対して、その語りを積極的に引き出し、対話をしていく中でヒステリーを理解し治療するという方法を編み出した。ここにあるのはシャルコーとは違った物語を重んじた臨床のテクニックであり、それはフロイトのヒステリー患者とシャルコーとは違った仕方で構成することとなった。

この論文を以前に読んだときに、私が一番感銘を受けたのは、シャルコーフロイト自身の女性に対する態度を分析する方法とは全く違う問題へのアプローチをとっていることであった。すなわち、視覚的―臨床解剖的方法と、聴覚的―対話的アプローチという、二つの臨床のテクニックから出発して、そのテクニックが女性患者をどのように構成したのかという問題設定をしている点だった。当時の科学史の中では(少なくとも私が知っていた方法では)、ある医者個人がどのような態度を女性にとっていたのかという問題設定と、医者が用いた方法がどのように女性を構成したのかという問題が混同されていて、誰それは奥さんに優しかったとか、娘の高等教育に賛成したとか、そのような問題と、科学的な枠組みの理解が混同されていたように思う。