必要があって、日本のコレラを素材にした思想史・文化史の研究を読む。文献は、Gramlich-Oka, Bettina, “The Body Economic: Japan’s Cholera Epidemic of 1858 in Popular Discourse”, EASTM, 30(2009), 32-73.
「コレラは徳川社会の the body economic の概念があらわになる触媒でありメタファーであった」という概念装置で、仮名垣魯文の安政ころり流行記をはじめとした「災害コラージュ」ものや、はやり病の錦絵を読み解くという方法をとっている。「身体は経済システムのメタファーであり、その中のコンテスタントであった」というのが結論になっている。その途中で色々と面白いことを書いている。
私もこの方法で論文を一つ書いたことがある。情念を政治的なシステムの中でのメタファーとして論じるという論文だった。この手の論文は、「かちっ」と音を立てて嵌まるようなシャープな証拠か、メタファーと医学理論・社会モデルについての奥深い洞察のどちらか(できれば両方)がないと、ふわふわとしてつかみどころがない議論になり、これまで分かっていることに何一つ新しいことを付け加えない議論になる。