アメリカの初期公衆衛生についての論文を読む。優れた洞察が多く含まれていた。文献は、Rosencrantz, Barbara Gutmann, “Cart before Horse: Theory, Practice and Professional Image in American Public Health, 1870-1920”, Journal of the History of Medicine and Allied Science, (1974), 55-73.
19世紀末のアメリカの公衆衛生は、他の分野の医者たちに較べて、凝集性において模範的であった。医者たちは、外部からはオステオパシーやカイロプラクティックなどの代替医療の攻撃を受けている一方で、内部では争いが絶えず、まとまった教育水準の統一化などの話をまとめることすらできず、笑い物になっていた。一方で、公衆衛生たちの団体は凝集力が強く、医者だけでなくさまざまな立場の人々をまとめあげており、それを模範にして医者も改革すべきだという意見が表明されるほどであった。
その一つの理由は、医学の理論上の対立を「まるくおさめる」方針が確立していたからであった。1873年にコロンビア大学の F.A.P. Barnard が、細菌論について述べたときに、たしかに化学的な理論と生きた細菌が広められるという考え方は異なっているが、「問題となっている病気の予防と撲滅に必要な方法は、実質上おなじだから、病気の性質と起源についての理論上の見解が何であれ、法制定はほとんど同じになるだろう」と述べているように、病因論の論争はひとまず措いて、実際の予防を論じようという考え方があった。この考え方は、衛生学においてインプリシットに力を持っていた。一つは、医者たちは、より広い病気と治療の考え方にかなった予防法を提供しなければならなかったからである。
面白い指摘があった。富裕層を診ている医者と、貧困層を診ている医者は、同じ医者である傾向があったという点である。アメリカの病院は公共の慈善であり、ここで働く医者たちは街の医学校の教授など、医学界の指導者だった。一方で、生活の糧を稼ぐためにあくせくしている開業医たちは、病院でのポストなど夢にも及ばず、市の公衆衛生に影響を与えるような有力市民を患者として持つこともなかった。このあたりが、猪飼さんがいうところの、有力な医者が開業医でありそのリーダーになる方向に進んだ日本との違いだろうなと思う。