ヘルムホルツのサイエンス・リレーション

必要があって、19世紀の医者にしてポリマスのヘルムホルツの講演集を読む。文献は、Helmholtz, Herman von, Science and Culture: Popular and Philosophical Essays, edited with an introduction by David Cahan (Chicago: University of Chicago Press, 1995).

実験生理学をはじめ、物理学などさまざまな分野で活躍したヘルムホルツが行ったさまざまな講演を集めたもの。解説には、科学者が教養市民層や専門家などに向かって語りかけたものであり、科学が文明にとって持っている意義を説いたものが多いと記されている。これを19世紀の「サイエンス・リレーション」と解説者がいっているのは、あながち間違っていないかもしれない。これらの講演はヘルムホルツの生前から既に出版され、英訳も1860年代から70年代にかけて刊行された。それらに、いくつか新しく英訳したものを加えて合計15編をえらび、PBKにして入手しやすくしたのが本書である。

戦前の日本の有名な医学者で、一般向けに講演したり文章を書いたりした人たちの文章を集めたものを読む機会があるけれども、それらの多くは、あまりに通俗的で読み応えがないし、また、彼らもあまりに雑文を書き飛ばしすぎる。慶應の生理学教授だった林髞などがたくさん書いたエッセイを集めたものを読んだことがあって、確かに面白いことを考えているけれども、どれも思いつきにとどまっていて、今の感覚で言うとブログのエントリーに毛が生えたくらいの軽いものを集めて本にしてしまう。一昔まえの日本では、出版社と著者の双方が共謀して、医学のサイエンス・リレーションを貶めていたという印象を持っている。

それに較べると、ヘルムホルツの講演は読みごたえがあった。というか、もともと出版を前提にしていたのだろうけれども、きちんと準備がされて考えられた講演であり、専門性は低いけれども、林が書くような雑文とはほど遠い。軍医学校の学生や教授たちを前に、医学の歴史を振り返りながら、医学の進歩のためには何が必要であったかを論じた講演を丁寧に読んだけれども、これも学術的ではないけれども充実したものである。「かつての医学の過ちを一言でまとめれば、それは、演繹法のみに従ってきたことである」というような実証主義の哲学的な議論や、自分が若いころに聴診・打診が導入されたとき、年長の医者たちは患者を機械のように扱うことだと反対したこと、生理学の授業を教え始めたときに、実験などは助手に任せるように年長の教授に言われたこと、医学教育は本と講義ばかりのときに、解剖は独自の観察ができる貴重な機会であったことなどの個人的な経験もまぜている。主張に賛成するかどうかは別にして、この講演は、丁寧に準備された講演である。これから講演するときには、ヘルムホルツのものに目を通してから準備をしようかな。