旧制度フランスの地方病院

必要があって、私が医療の社会史の研究を始めたころに読んで、そのリサーチテクニックのまねをした懐かしい本を読みなおす。文献は、Jones, Colin, The Charitable Imperative (London: Routledge, 1990).

旧制度のフランスにおける病院は、フーコーやアッカークネヒトで有名な臨床医学革命とは対照的な暗黒として捉えてられている。18世紀の病院は「死への門」であったという言葉は、たしかにパリのホテル=デュー総合病院にはあてはまる。しかし、地方病院はそれとは違う姿を見せており、死亡率は、パリの病院の1/4 から半分程度である。フランスには2,000以上の病院があり、それらをパリだけで代表できるわけではなく、また、地方都市の事情によって病院が担っている役割は変わっていた。それを、この章では、ニームの病院の患者の入院記録のシステマチックな分析を通じて実現している。私がはじめて患者記録の組織的な分析でないとわからない事実があって、それがわかっていないと病院の基本的な性格や意味について、取り返しがつかないほど大きな思い違いをしてしまうという当たり前のことに気付いた書物だった。