医学史の教育

医学史の教育のあり方と、その目標はなんだろうかという大きな問題を立てて論じたエッセイ(英語の意味のエッセイである)。議論のまとめというより、私がこの論文を読んで考えたことを記す。Dolan, Brian, “Second Opinions: History, Medical Humanities and Medical Education”, Social History of Medicine Vol. 23, No. 2 (2010), 393–405

医学史の教育というのは、特に英米やドイツにおいては、好むと好まざるとにかかわらず、医学教育と深い関係を持たずにはいられない。かつての「ヒポクラテスを知っていることが現代の臨床を助ける」という信念が生きていた時代においては、医療の連続性が前提されていたから、「医学の古典」を教えることが医学史教育であった。(日本においては、漢方の医学史というのは、現在でも、基本はこれだと思う。)20世紀にはいって、ジゲリストがアメリカにもたらした医学史の教育は、当時の社会医学の興隆とあいまって、医療を社会的なものととらえることに力を注いだ。この時の医学史の役割は、当時の医学と医学教育の欠陥を埋めるということであった。後期資本主義や社会主義などが、医療が行われる場とその意味を大きく変化させている状況が一方にあり、もう一方には、医学の科学的・技術的な側面が大きく進展しているという状況があった。この二つの状況において、医療を科学技術一辺倒から救い、その社会性を強調した歴史教育をするという目標をかかげた。医学の世界においては、医学史はいわゆる社会医学と強い親和性をもつ学問となった。じっさい、20世紀半ばの医学史研究は、歴史学者というよりも社会医学者によって行われることになった。(日本においても川上武らにその傾向が顕著にみられることを付言しておく。)

一方で歴史学においても70年代から80年代にかけて、社会史やフーコー派の登場に代表されるように、権力の構造の中で医療をとらえる態度が形成されていた。文化史の興隆もこの傾向と一致した。このヒストリオグラフィの担い手は医学部ではなくて人文社会系の学部、特に歴史学部で教育された歴史学者たちであった。ここで、彼らは「それまでの医学史は、引退した医者が医学の進歩を記述して楽しみにひたっている先祖崇拝だ」というレトリックを組み立てて、医者出身の医学史家と歴史出身の医学史家という分断線を引こうとする傾向があった。たしかに、医学部出身で実際に臨床や基礎医学に携わっている学者は、そのような批判に値する医学史の論文や仕事をすることが比較的多かったように思うが、このレトリックがどの程度まで現実を的確に、そして公平に言い当てているのかは、大いに議論の余地がある。