道徳と医学

Allan Brandt, "Behaviour, Disease and Health in Twentieth-Century United States", in Allan Brandt and Paul Rozin eds., Morality and Health (London: Routledge, 1997).

必要があって、アラン・ブラントの病気と道徳論を読む。

誰が・なぜ・病気になるのか。そこには患者の不道徳が振る舞いがあるからこそ病気になるのではないかという問いは非常に古い。宗教の影響もあって、病気の病因論に道徳的な非難を組み合わせることは、医学の言説と、それを含む社会的な言説に頻繁にみられる。一方で、たとえば同性愛やアルコール依存症については、それを病気であると言い立てることは、その「患者」に対する道徳的な非難をそらす効果も持っていた。この、道徳的な非難を含む病気の理解と、道徳的な非難から切り離す言い立てとしての病気論を、歴史の過程として解釈する論考である。

話のコアは、細菌学が持っていた、病気を個人の人格から切り離す力である。20世紀の初頭から中葉にかけて、「病気とは、偶然、病原体に犯されることである」という、細菌学のモデルが社会の言説に取り入れられた時代には、Xは病気であると言い立てることは、そのXにかかっている個人に対する道徳的な非難をそらす効果を持っていた。細菌学のモデルでは、罹患は、偶然の連鎖の中で病原体に触れることであり、そこには、落ち度はあったとしても、道徳的な非難は希薄であった。しかし、いわゆる疾病構造転換の結果、感染症自体が衰退し、いわゆる生活習慣病が前面に出てくると、道徳的な解釈が復活する。多くの疫学研究が、喫煙と肺がんの関係、過度に豊かな食事や運動不足とさまざまな疾患の関係を明らかにした。すると、病気は個人の責任であるという議論が前面に出てくる。病気の原因を個人化するモデルは、健康なライフスタイルを公共の義務とした。また、実は社会経済文化人種ジェンダーによっても媒介されている、リスクが高い行動を、単純に個人の選択の問題とする、単純さを持っていた。