アーユルヴェーダと貧民の治療

少し空いた時間があったので、写経をしたり、ペンギン版のアーユルヴェーダをめくったりしてのんびりした。「遺伝について」という節は、人間の発生はどのようなものであるかをめぐる節だが、面白い形式をとっていて、師が説を述べ、弟子がそれに反対し、師がさらにそれを駁論するという形で議論が進んでいく。やはり、人間の発生というのは、激しい議論の対象となった問題であり、師と弟子が議論するという形を取っているのだろうか。

もう一点、「治療を放棄されなければならない患者」という小節がある。以下のような病人は、たとえふさわしい時であっても、体液を出す方法や、他のいかなる方法でも治療されてはならない。
警告しても何の行動もとらないもの
召使いを持たないもの
自分が医者であるかのように思い込んでいるもの
乱暴なもの
人の悪口をいうもの
露骨な悪事をして喜ぶもの
血液や肉がとても弱まっているもの
不治の病をわずらっているもの
死ぬ兆しを見せているもの
これらは、もちろん現在の価値観とは違うが、予想できることである。死が確定された患者は医者が出る幕ではないから治療してはいけない、というのは、規範として明言されているかどうかは別にして、近世までのヨーロッパでも医者の行動ルールであった。また、道徳的に正しくない行いをするものは治療してはいけないというのは、その理由はわからないが、なんとなくわかる。驚いたのは、次の禁則であった。

貧しいもの[は治療してはいけない]

「貧しいものを治療してはいけない」という教えがあったというのは、予想していなかった。アーユルヴェーダには、仏教の影響が大きいと聞いているので、慈悲の心が強調されているように思っていた。編者の解説によれば、古代インドでは貧民が治療をうけられなかった、あるいは医者たちが貧民の治療を拒んでいたというわけではなく、実際に病院などには貧民がやってきていたという。貧民に治療を受けさせる仕組みがなかったわけではないが、それはしてはいけないと明言している文章があるとは思っていなかった。