内村「アイヌのイムについて」(2)

内村祐之アイヌのイムについて」(2)
111名の患者のうち、1名を除いて全員が女性であった。男性のイムについては十分に調査したが、北海道にはついに一名も発見することができず、逆に樺太では、5名のイムのうち1名が男性であるということになった。年齢分布から言うと、最も多いのは50歳代、60歳代であるが、これは、イムが最近減少しているために若い患者が少なくなっているということが貢献している。発病年代でいうと、20歳代が多い。しかし、20歳代の女性のイムは、まだイムとして弱い症状しか示さず、壮年期に典型的な強い症状がみられ、老年期に達するとまた症状が弱くなるという盛衰を示す。

イムの核心は、一定の刺激が与えられた時に、反射的に起きる驚愕反応 (Schreckreaktion)である。この驚愕は、その程度が刺激に比して異常に強いだけではなく、一時的な驚きではなく、ある時間的な連続を持って精神症候が集団となって伴われるものである。多数のイムを観察した結果、これが定型的に現れるときには、四つの要素からなると考えられる。その四つの要素は、1) 躁暴状態、2) 反響症状、3) 反対行動、4) 理性抑止的退行(性的言動)
(ここで、内村の描写は、医学的というより、迫真性と臨場感をもった、あるイムの女性の記述となる。「彼女は薄暗い小屋の中にあって炉の脇で億年と座っている」という文章ではじまり、「そのとき、我々の中の一人が突然『とっこに』と声をかける」で終わる文章は、ルポルタージュのようにも、あるいは脚本のようにも読める。)
1) 躁暴状態。叫び声をあげ、傍らの棒切れをとって検者に打ちかかるなどの、暴行をする。刃物などが近くにあると危険である。のちに、このような醜状を示したことを悔いる。
2) 反響症状。躁暴状態が鎮静すると、イムの特徴として有名な反響症状が起きる。これは、まるでこだまのように、相手に問いかけられた言葉をそのまま返答したり、相手の動作を自動機械のように模倣することである。その言葉を理解しない場合であっても、それを模倣する。「ヒコーキ」―「ヒコーキ」、「バカ」―「バカ」、「サッポロ」-「サッポロ」という具合である。また、命令を与えると、それが難題であっても無批判に実行する、「命令自動」も起きる。踊れと言われれば踊り、男に組み付けと言われれば、老婆であっても屈強な男に打ちかかる。酒宴の席で、イムを起こして座興の対象となって飲酒を命じられ、飲めと言われるままに飲んだために死亡した例もあるという。また、全身に強硬症が起きる。これは、イムではないアイヌ婦人や非定型で反響症状を起こさないイムにも見られる現象である。
3) 反対動作。反響症状と一見すると矛盾するようだが、根源においては同じ現象が、「反対動作」である。これは、命令の意味と反対のことをすることである。近寄れと命ずれば遠ざかり、遠ざかれと命ずれば近寄るという行動である。これは、相手の命令を拒絶するようでいながら、分裂病の拒絶症のような盲目的な拒否、外部からの刺激の遮断ではない。むしろ、外界からの刺激(命令)の影響のもとにあり、それを反対の方向に転化するのである。つまり、相手の意志の影響下にあるという点で、命令自動と等しく、ただ実現の方向が異なるのみである。
4) 理性抑止的退行(性的言動)。これは、他の三つほどは広く見られず、特殊な状況でのみ発生する。典型的には、部落の老若が集まった酒宴の席において、イム患者が座興の的になり、反響症状や反対動作を利用した悪ふざけをうけているときに、患者がいつもは慎み深いアイヌ女性なのに、著しく卑猥な言動を示すことである。若い男に飛びかかったり、自己の性器を露出したり、淫語を放ったりするのである。

イムの誘発刺激として有名なのは、蛇(蝮)を意味する「とっこに」という言葉である。「とっこに」と言うと、患者はイムの症状群をはじめる。言葉が似ているから、「とっくり」(徳利)といっても発作が起きる場合もある。初発動機としては、蛇を見て驚いたなどという、蛇と関連する驚愕があげられる。別の初発動機としては、加持祈祷の中で、病気を治癒してもらう代わりにイムを与えられたということも挙げられる。華族の中に強い集積を示し、イムは遺伝すると考えた学者もいたが、内村は、遺伝というよりも模倣によるものだと考えている。すなわち、若い娘が、祖母や母親などがイムを示すと、それを模倣するというのである。(続)