「虚談」の面白み

幸田露伴の『武田信玄』を読んでいたら面白い言葉があったので、メモする。

古の事でも今の事でも、虚談には面白いのが多くて、おもしろいのには虚談が多い。真実の事は虚妄の談よりおもしろかるべきであるが、少なくとも虚談の製造者に瞞着されて、そしてそれを面白いとおもうような人にとっては、虚談ほど興味があって、精彩があって、気〇生動して、かつまた権威を有するところの、有り難いものはないのである。虚談の生ずるのは、訛誤もあり、誇張もあり、修飾もあり、また故意の捏造もあり、無意の演繹もあり、他を排し我を立てんとするよりも計謀的宣伝もあり、そのほか種々の原因よりして生ずるのであるが、虚談でも何でも構わないから、自分に面白いと思われるものを面白いとして嬉しがって信受する人が世間には甚だ多いからして、虚談はいつの世にも幅を利かして、ついには実際の方が却って虚談に圧せられるようになるのである。

一言でいうと、「愚かな人たちは虚談が好きで、虚談が現実を打ち負かすものだ」というペシミスティックで、社会を上から見下ろすようなエリート主義的な考え方であるはずである。ところが、ここには非生産的な悲しさや鼻につく傲慢がなく、むしろその虚談をありさまを楽しんでいるようなところすらあって、その秘密がどこにあるのかちょっと不思議である。