『雨月物語』

雨月物語』は溝口健二が1953年に作成した映画で、ヴェネチア国際映画祭銀賞をはじめ、多くの映画賞に輝いている。ストーリーは、上田秋成の『雨月物語』から「浅茅が宿」と「蛇性の淫」の二つの物語を組み合わせたものになっている。時代設定は戦国時代で、羽柴秀吉柴田勝家の争いが背景になっている。主人公は源十郎という近江の百姓で陶器を焼く副業をしている人物で、金を手にするために、妻の宮木が止めるのにもかまわず、長浜に行って陶器を売ろうとしている。長浜で源十郎は若狭という謎めいた上臈の屋敷に誘われ、そこで歓待を受けて彼女と契りを交わすが、身体に呪文を書いてもらって彼女の魔力から逃れる。ここが、「蛇性の淫」に、呪文が身を守るという「耳なし芳一」「吉備津の釜」などの仕掛けを加えて翻案した部分である。源十郎が若狭に溺れている間に、妻の宮木は戦乱の中で殺される。若狭から逃れた源十郎は自分の村に帰り、そこで宮木が待っている一夜の幻想を見る。これが「浅茅が宿」の翻案部分となる。それに、源十郎と同じ村の百姓で、武士になって手柄を立てた藤兵衛と、その妻で遊女に身を落とした阿浜が遊女屋で再会するというエピソードも挟み込まれている。

 まず、溝口の映像が素晴らしい。私には映像を的確に描写する語彙がないから説明に窮するが、端正なカメラワークと安定した構図で、ああ、日本映画の巨匠という感じだなあと実感した。それから、宮木を演じた田中絹江と若狭を演じた京マチ子の女優たちが素晴らしい。特に京マチ子は、蛇性の淫としての説得力が必要な役だが、男をたらしこむ魔性の媚態と、そこから透けて見えるような必死の情念の双方が素晴らしかった。(いや、女性美を的確に描写する語彙なんてもっと持ち合わせていないのだけれども・・・笑)

映画のあとで原作の『雨月物語』を読み直したくなったので、懸案の「物の怪」について調べようという言い訳を思いつき、岩波の古い方の古典大系を引っ張り出して読んだ。中村幸彦という偉い学者の校訂で、それ自体が古文であるような解説がついた本である。(「長じては保養が煙霞の癖となって、近畿の各地に杖を引き、折花攀柳の巷にも出入した」)その中から、私が好きな「吉備津の釜」と「蛇性の淫」を読む。

「吉備津の釜」は、心が定まらない「たわけもの」の正太郎が怨霊に殺されるさまを描いた傑作である。正太郎は磯良という女性を結婚したが、たわけもので、袖という名の妓女となじんでついには身請けし、妾宅を構えて家に帰らなくなった。磯良は恨み正太郎の父に告げたところ、父は正太郎を「押籠」にする。(ここに、「近世風に言えば座敷牢に入れた」と頭註がある)しかし、正太郎は磯良をだまし、磯良の衣服や調度を金に代えさせ、磯良の母からも金を借りさせて、その金を持って妾の袖と京に行こうとする。しかし、途上で袖は物の怪につかれたように異様になるが、彼女の従弟がこれは「瘧」の熱病だろうといっているうちに、袖は死んでしまう。ちなみに、この部分は、本文では「瘧」の字ではなく「疫」が使われている。この「疫」の語は、「疫病」というように大きな流行病のことであるが、マラリアによっておきる「瘧」をあらわすのにも使われているから、ここは「瘧」の意であろうという的確な解釈をしたのは、もちろん私ではなくて校訂者の中村幸彦である。

「蛇性の淫」では、男の主人公の豊雄が、蛇が化身した真女子と契ったあとで、その本性を知って別の女と結婚するが、新婚の夜にこの女が真女子に取り憑かれ、姿は変わらないが真女子の人格となって話すという有名なシーンがある。豊雄が新妻に「あなたは内裏に勤めていたが、その美しい器量なら、きっと貴公子たちに言い寄られて添い寝しただろうね、いまさらながら憎らしいことだ」と戯れを言う。そのとき、豊雄の妻に真女子が乗り移り、「いいえ、本当に憎らしいのは、私と契ったのに、このような、格別とりあげることもないような凡庸な女と馴染んでいるあなたです」と、妻の姿のままで、真女子の声と、真女子らしい雅な言葉で台詞を返す名場面がある。<このような、格別取り上げることもないような凡庸な女>という決め台詞、そしてそのときに、まさしくその女の身体を乗っ取っているという状況。これは、私が好きなシーンである。