オーストラリアの戦争神経症患者の処遇と家族の圧力

Larsson, Marina, “Families and Institutions for Shell-Shocked Soldiers in Australia after the First World War”, Social History of Medicine, 22, no.1, 2009: 97-114.
第一次世界大戦後のオーストラリアの戦争神経症(シェルショック)の患者の処遇について、家族の役割を調べた論文。近代の精神病院型の精神医療の処遇においては、家族の役割が重要であったことは、イギリスの精神医療の社会史の研究の一つの焦点となり、私はすでに受け入れられたと思っている。このモデルをシェルショックと組み合わせるとどのようになるのかという視点である。

非常に興味深い議論が展開されている。まず第一に、患者の処遇にかかわる行政組織と論争して、戦争神経症の患者たちについて、「彼らはただの精神病患者ではない、傷ついた英雄たちである」と強硬に主張したこと。一般の精神病院の他の患者と混合した居住空間に置くことに反対して、特別優れた治療を受けることができる戦争精神疾患の患者のみが置かれる特別な病棟を作ることが主張されたこと。患者には20才以降の若者が多かったので、その親の世代という社会的に最も活発で有力な世代であったこと。そして、その親たちは戦争神経症の患者のために団体を作り、新聞などでキャンペーンをはる公的な活動も行った。

日本でも類似した現象がある。多様な精神疾患にかかった将兵を最終的に診療する機関であった国府台陸軍病院は、当初、神経症の患者を精神病の特別棟に収容したが、これは1年ほどで中止されて、精神病と神経症を区別し、後者は一般開放病棟に特別病棟を作ってそちらに収容することになった。その理由として、ある北大出身で昭和16年から20年まで国府台に勤務した医師は、当時は傷病兵にたいする熱狂的感謝があり、彼らは過大な待遇を与えられていたので、神経症の患者たちは、自分たちは戦傷であるにもかかわらず、精神病と同一視する待遇に不満を抱いたからであると説明している。おそらく、この分離には、家族の圧力もあったのだろう。