泉鏡花「海神別荘」

泉鏡花「海神別荘」
鏡花全集で「天守物語」と収めたのと同じ巻(二十六巻)の別の戯曲「海神別荘」が面白かったので読んでみた。「天守物語」が天守閣の最上層を舞台にした空を飛ぶ魔物と鷹の話だとしたら、「海神別荘」は、その名が示す通り、海底に住まう龍王を主人公として、そこに人間の美しい娘が嫁いでくる話である。

龍王はある陸の人間の娘を見初めてこれを欲し、その父親に海中の宝を送ったばかりでなく、黒潮・赤潮の手兵を遣わして一浦の津波を起こし、田畑も家も山に流す暴威の力を見せつけて娘を手に入れた。陸の人間から見ると、娘の命を諦めて人身御供に出したことになる。海中の宝は、珊瑚に紅宝玉、緑宝玉、青瑪瑙に紫の瑠璃という五色の豪華なものである一方、龍王の破壊力は圧倒的な荒ぶる神のものである。それに続いて、黒潮の騎士たちに囲まれ、女官に付き添われ、白龍馬に乗って海中を降りていく娘を描いた部分は、まさにただようような海中の夢幻世界である。

龍王が人間のありさまを否定する論調も面白いし、龍の鎧をまとってその強さを誇る部分は惚れ惚れするような男と夫の力の誇示である。嫁となった娘が龍王の宮廷の豪奢に目を瞠り、父親や陸の人間にここをみせたいというのを虚栄と切り捨てる部分もいい。龍王の女となったいま、自分が陸の人間には巨大な蛇にしか見えないことを悟った女とのインテンスな場面もいい。このあたりが面白いと思えるようになったのは三島由紀夫を読んだせいだろうと私は思う。

二つの面白い奇想があったのでメモ。ナポレオンが集めさせた万巻の書を、龍王の姉の乙姫が編んで小さな一冊に綴じた百科事典が登場する。その百科事典では、森羅万象と人類の事蹟が、輝く五色七彩の活字によって、名刺、代名詞、動詞などに応じて異なった色で現れる。そして、予備知識がない人間にはただの白紙にしか見えない。たとえば東海道中の唄も、それが分からぬと白紙だが、侍女の一人が憶いだして「都路は五十路あまりの三つの宿」と唄いだすと、「都路」という文字が江戸紫の色で現れる仕組みである。

もう一つは、海中の人間の魂の話である。醜い想いをもって海で死んだ人間の魂は、海月(くらげ)となって女に引かれてその近くによるという趣向である。