優生学と文学2

 同じく『ドグラ・マグラ』を論じる論考にいれる背景の一部です。もちろん下書きですので、引用しないでください。また、先日は大変貴重なコメントを頂きましたが、また皆様からコメントを頂ければ幸いです。

 

 「狂った科学者・狂った医学者」という主題は、メアリー・シェリーの『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』(1818)が先駆的な作品となり、19世紀の末から20世紀にかけて文学や芸術において定着して現代においても重要なジャンルである。H.G. Wells の小説である『モロー博士の島』(1896)、ローベルト・ヴィーネ監督の映画『カリガリ博士』(1920)などは、進化論、動物実験、催眠術といった、医学界を超えて社会的な議論の対象であった主題を取り上げて、動物と人間の交配種が住む絶海の孤島や、夢遊病状態の個人を操って殺人を犯させるなどのホラーとミステリーのストーリーを作り上げた。

20世紀前半の日本においても、これらの西欧の物語に直接間接に影響されて、類似の主題が繰り返し取り上げられた。医学と関連が深い主題を取り上げている作品としては、江戸川乱歩「孤高の鬼」(1929)や、横溝正史「真珠郎」(1936-37)が名高い。前者は、醜い佝屡で、人々から冷酷にあしらわれてきた男が、社会に復讐するためにこの世を身体障碍者でいっぱいにしてやろうとして、孤島に居をおいて身体障碍者を次々と製造する話である。その島では、幼児を箱に入れて育てた奇形児、顔の皮を剥いで別の皮を植えて熊娘としたもの、そして男児と女児を腰の部分でつないでシャム双生児とした奇形児などが製造されている。もともとの佝屡の障害者は医学者ではなく無学な人物だが、義理の息子を東京の医学校にやって技法を学ばせている。横溝正史の「真珠郎」においては、悪の主人公は医者であり、この人物は道徳感情が一切ない卑劣漢であり、破廉恥行為によって社会から追放されたのち、社会に復讐するために、道徳的な怪物を作り上げようとする。そのため、長野県の別荘地帯に邸を構え、そこに作られた隔離された蔵の中で、残虐な犯罪を重ねてのちに狂死した男と、付近の「サンカ」と呼ばれる非定住の集団に属する重度の精神障害の女をともに生活させて、その二人の間に男児を得た。男も女もその道徳と精神には著しい障碍があったが、姿は非常に美しかったため、その男児は非常に美しかったという。この美少年に潜在的にそなわった残忍さをより毒々しく発展させるために「教育」にも工夫をこらし、くだんの蔵の中から一歩も外に出さないことはもちろん、運び込んだ動物を殺戮させるなどの「教育」を通じて残虐さを養った。真珠郎の残忍さの成長は、誕生直後からの「真珠郎日記」と題された医学日誌のような形状の記録に写真付きで記録されていたとされる。まるで実験室の科学者や、施設の医者が行うかのように、この道徳的な怪物の成長が記録されていたのである。