ドグラ・マグラについて議論の要点を示した部分です。
夢野の本名は杉山直樹で、のち改名して泰道となった。家庭は裕福で父親は右翼系の壮士であり文章も書いた。両親の離婚のため複雑な家庭生活の子供時代を送り、福岡の高等学校を卒業したのちに軍隊に入隊し、退役後に東京の慶應義塾大学の文学部で学んだが中退し、農園経営、仏教の僧侶、新聞記者などのさまざまな職を経験した。幼少のころから、能に親しみ、長じては喜多流の謡曲教授を務めたこともある。1926年に『あやかしの鼓』を、探偵小説の雑誌の『新青年』に発表して、小説家としてデビューした。その作品の多くは探偵小説の形態をとっているが、怪奇・夢幻・奇想の要素が非常に強く、謎解きの要素は低い。
夢野は1926年に「狂人の解放治療」というタイトルの草稿を書き始め、その日記には、そのために精神医学や脳神経の医学を盛んに学んだことが記されている。この草稿が10年後に完成されたのが『ドグラ・マグラ』であり、精神病院の患者(「狂人」)と、それを治療する精神病医の関係を軸にした作品となった。精神医学の理論と精神病院における実践的な医療が、作品の本質的な部分に取り込まれている作品である。
しかし、この書物における精神医学・精神医療は、少なくとも両義的、どちらかというと批判的に取り扱われている。とりわけ、理論において当時の精神医学の正統的な学説であった脳(「脳髄」)が精神のありかであるかという説を論駁すること、実践においては当時の患者を隔離収容する精神病院のシステムを批判することが、この小説の大きな部分を占めているため、この小説は、ある種の精神医学批判を行っているという性格を持っている。しかも、脳に精神を局在させる唯物論を否定して、それに代わって精神とその疾病を理解する複数の理論も提示しているので、同時代の精神医学・精神医療に代わる世界を提示しているフィクションでもある。
夢野が用いている唯物論的な局在論に代わる理論はいずれも記憶に関するもので、大まかにわけて二つある。一つはヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」という考えをデフォルメして、仏教などのインド起源の輪廻の思想と組み合わせて発展させた理論である。夢野の説によると、人間の胎児は母親の胎内で、生物学的な進化と人間となってからの先祖の記憶をすべて経験するという。生命が誕生した直後の単細胞の原生生物に始まり、より複雑な生物や恐竜やサルを経て、人間となってからの先祖の人生の記憶も胎児は経験する。つまり、胎児は胎内の10カ月で、数十億年の生命体とその個人の家系の歴史をすべて想起して、出産とともにそのすべてを忘れるというのである。この夢野の奇想は、輪廻の思想、すなわち個人は死後に人間以外のさまざまな生命体に転生することを繰り返すという思想を、ヘッケルの説の枠組みの中で発展させたものである。過去の生命体や先祖の心理を胎内で一度経験した記憶が、個人の心理に潜在的に存在しているという、広義の精神分析やユング派の分析心理学の発想をさらに発展させたとも考えられる。
もう一つの理論的な装置は、日本において中世に発展した「夢幻能」である。夢野は能を知悉しており、その中の特に「夢幻能」と呼ばれる様式で用いられている手法が、『ドグラ・マグラ』の物語を駆動する重要な手法である。すなわち、時間的な隔たりが無視されて、過去において存在した人格と現在の人格の双方が同じ時間・場所において現れることで物語が進行するという手法である。この夢幻能の手法を導入する中で、『ドグラ・マグラ』はそれを映画という当時の新しい芸術の手法を用いており、伝統的な芸術と最先端の芸術の手法が組み合わされているのを観察することができる。