喘息の治療薬とグローバルな本草学・ヨーロッパ由来の化学

Mark Jackson, Asthma : the biography (Oxford: Oxford University Press, 2009)

オクスフォード大出版会の 「病気の伝記 Biography of Disease 」のシリーズ。芸達者で仕事が早いマーク・ジャクソンが喘息について書いている。喘息の歴史についての入門的で標準的な書物。そこから近現代の治療技術の発展についてのメモ。

20世紀になると喘息の薬にエフェドリンが用いられるようになったが、このアルカロイドは、日本人の研究者である長井長義(ながい・ながよし 1845-1929)が1885年に麻黄から析出したものである。のちにイーライ・リリー が量産して喘息の薬のベストセラーとなった。

 

長井の家系はもともと阿波藩の典医であり、長井の父親は優れた本草学者であった。そのため、植物に対する中国・日本の伝統に西欧などの伝統が加味された優れた本草学・博物学に対する感覚が息子の長井に引き継がれることとなった。長井は、幕末・明治維新期の長崎などで化学を学び、1871年に第一回の国費留学生としてプロイセンに留学するが、留学先でも植物学の講義は理解しやすかったという。そう考えると、長井のエフェドリン発見は、中国を軸とする東アジアの医学・本草学の伝統と、プロイセン(ドイツ)の近代的な化学の融合を背景に持つことになる。また、この成果を製薬業に結び付けて大きな利益を上げることも可能であった。(明治期の日本の薬業界がどの程度対応できたのかよく分からないが)

 

このパターンの20世紀の薬物研究、すなわち東アジアを軸とした本草学を背景にして、化学的な研究を通じて製薬における世界的に成功した例を探すこと。そして、このパラダイムが、明治から現在までの日本の政府・薬学・製薬業にとって重要であったことは論じられないか。

 

雑メモ

Jackson, p.133 は長井の生没年を 1844-1929としていて、生年が一年ずれている。

 

長井が1893年にエフェドリンからメタンフェタミンを合成することに成功し、緒方章(東大教授で緒方洪庵の孫)が1919年にメタンフェタミンの結晶化に成功した。これがヒロポンであり、戦前・戦中に盛んに使用され、戦後にはその中毒が大きな問題となった。

長井がドイツで結婚した妻テレーズは日本に女子教育を導入することに力を注ぎ、日本女子大学雙葉学園の設立と教育に貢献した。日本女子大学家政学の授業ではドイツ料理を教えた。