三島寛『辻潤 : 芸術と病理』(東京:金剛出版, 1970)
辻潤(1884-1944) はダダイストの文学者・翻訳者で、昭和戦前期に精神病院への入退院と全国各地の放浪を繰り返した人物である。昭和7年に「天狗になった」と称して二階から飛び降りて精神病院に入院させられたのをきっかけに、それから数年間は、退院と浮浪と入院をしばらく繰り返していた。この行動に昭和戦前期の大都市における精神病患者の実態のヒントがないかと予想を立てている。つまり、精神病院の数がそこそこは存在したが、その多くが私費の病床であった東京において、家族の監禁や監視から比較的自由で、財産もそれほどあったわけではない個人の問題である。
精神医学者の三島寛が辻潤の精神病についてまとまった著作を書いている。まずは診断。辻潤自身は統合失調症であるという。「でめんちあ・ぷれこっくす(早発性痴呆)・かたとにや―これがおれの病名なのだ。別段ドクトルに診察してもらったわけではないが、ただ自分でそうきめているだけの話だ、おれを正当な人間だと思ってもらっては困る」(『ものろぎや・そりてえる』)これはもちろん言葉遊びとメディカライゼーションであって、診断ではない。辻はポー、ボードレール、ハイネの病跡誌を訳すこともあり、精神医学と文学のあいだの言葉をよく知っていたはずであるという。診断については、長期にわたる常習的なアルコール摂取が問題の中心にあったことは間違いない。三島は、そこに、アルコールへの依存にはまり込むような異常性格、あるいは精神病質も存在するという。そのため、奇行、酒を入手するための虚言、詐欺、物乞いまがいのこともした。辻が晩年愛した言葉である「日々是口実」という言葉はその事情をついている。辻の症状をみると、アルコール中毒の症状であるせん妄・震顫せん妄があり、アルコール幻覚もある。アルコール中毒の直接的な影響がなくなっても、もともとの異常性格があり、またそれと相まってアルコール中毒が人格に影響を与えたので、通常の生活ができなかった。家庭には精神病患者を収容する力は到底なく、辻は、浮浪すること、知人に依存すること、警察とトラブルを起こすこと、緊急時に精神病院に収容されることが継起する生活をするようになる。このようなタイプを、東京の精神病院の症例誌から探してみることが必要になる。
写真は尺八を吹いて門付けにまわる辻潤。