大槻憲二『精神分析 社会円満生活法』(東京:人生創造社、1935)
大槻憲二(1891-1977)は、日本に最初に精神分析を紹介・導入した人物であり、大槻が『人生創造』なる、石丸梧平(1886-1969)が編集した雑誌に連載したものをまとめた書物である。フロイトの精神分析が日本に導入された初期の姿をよく伝えている。10講ほどの「講」に分かれており、自己の問題、社会の問題、そして家庭の問題が精神分析で解釈される。どの講においても、人生相談に対する精神分析風の回答というのが一つの柱、著名な文学・演劇・同時代の事件・史実についての精神分析風の解釈の提示というのがもう一つの柱になっている。人生相談は、あるものは実際に大槻のもとに寄せられた悩み相談の場合もあるし、朝日新聞の人生相談コーナーから悩みの相談の部分を拝借して「分析家ならこう答える」と説明するケースもある。中産階級からやや上位の労働者階級くらいの読者を想定した、一般向けの精神分析のありかたが分かる。当時の社会に適合して精神分析を導入して広めようと大槻が考えていたことは明らかで、分析を学んでその視点で自己・家族・社会を解釈して実践すると、「円満な人生」menschliche Leben がもたらされるというのが基本的な姿勢である。フェミニズムに対しては敵意が底にある揶揄する態度を示し、同じ時期に朝日新聞で女性の人生相談をしていた山田わかをからかい、朝日で小説を連載していた横山美智子、人気の女性作家であった吉屋信子などを「アタランタ・コンプレックス」と言っている。総じて、議論の水準は低く、俗流精神分析の茶飲み話の域を出ていない。日本の精神分析・フロイト主義の歴史記述は、いまだ本格的なものは出ておらず、既存の研究の中でも大槻憲二は軽視される傾向があるが、その理由がよくわかる。民衆の知恵に迎合し、読み捨てられるのが関の山であった精神分析の少しみじめな姿がここにある。これは、精神分析に現在でも共感する人文系の学者たちが見たいものではないだろう。
一か所面白かったのが、個人の精神や人格の内部における支配関係を、社会・政治における支配関係になぞらえて理解し説明する部分である。超自我ー自我ー本能(エス)の支配・被支配の関係を説明するときに、超自我は枢密院、自我は内閣、本能は民衆であるといい、これまでの人間理解においては超自我が、自我と本当を支配抑圧しなければならないと考えていたが、精神分析では自我を主軸に据えて、それは本能と一致するのだという方向に考えると論じている箇所があった。