18世紀の入れ歯について
18世紀のヨーロッパにはアメリカ新大陸のプランテーションが成功したサトウキビから製造された砂糖が普及する一方、歯科衛生がまだ発展していなかったため、歯の状況は人類史上最悪だったと言われている。しかし、すぐに歯科医療が発達し、18世紀にはパリがヨーロッパの歯科医療をリードする都であった。その内容を魅力あふれる一般書にしたのが Colin Jones, The Smile Revolution in Eighteenth Century Paris (Oxford: Oxford University Press, 2014)である。この書評は近日中に『科学史研究』に掲載されると思う。ここでは、そこで書けなかったことを少し書く。
入れ歯についてジョーンズは比較的詳しく書いている。もちろん入れ歯の起源は古く多様である。エジプトのファラオの時代から存在しているし、日本の江戸時代の入れ歯を見たことがあるが、木製だった。18世紀のパリでも当時の最先端の歯科医たちが色いろな入れ歯を試していた。人間の歯を使う、動物の骨をけずって作る、そして人工物で作るという三つのオプションがあった。動物の骨は、カバの下顎が一番よいといわれていたという。人工物でいうと、セーヴルの王立陶磁工場の助言で、ある種のセラミックで作ることが18世紀の末には行われていた。
人間の骨を使うのが一番ふつうの発想だが、どうしても別の人から取ってくるケースが多くなる。同一の個人の口の中で、ある場所から抜いて別の場所の入れ歯にする操作は、理論的には可能だが、どんな場合にそれが可能かと考えると、あまり現実味がない。死者の口から歯を抜くというオプションもあって、戦争の時に戦場の死体から歯を拾ってくるという都市伝説もあったが、あまり現実味がある話ではない。貧民用の病院や施療院で死亡した貧民の死体は、もともと病院は医者たちの所有物の性格が強く、死亡してから48時間以内に家族などが取りに来なければ病院側の所有物となるという、勝手極まりない規則があったくらいだから、そこでの歯は取り放題である。しかし、病気が感染するなどの別の都市伝説もあった。そうすると、やはり生きている貧民から取ること、少なくともそういうものとして売ることが一番よい。
貧民から歯を取るというと、著名なのは二つの記述で、一つは19世紀の作品だが、『レ・ミゼラブル』の登場人物のファンティーヌが前歯を二本売って金にするというエピソードである。もう一つは18世紀末のイギリスのロウランドソンの作品 Transplanting Teethで、これは貧民の子供から歯を抜いて、それを金持ちの入れ歯に使うという主題を扱っている。貧民の子供が部屋に導かれてそこで歯を抜かれ、着飾った金持ちたちの入れ歯になるありさまが描かれている。どの程度現実に行われていたのかというようなことは、私は全く知らない。おそらく近現代の日本でも、これと類似の行為はあったと思うが、研究があるのだろうか。