江戸時代の怪談と話における精神疾患

講演のメモです。生まれて初めて、日本の近世について人前で何かを話す講演じゃないかしら。うううむ。でもがんばろう。

 

耳袋 巻の四 「番町にて奇物に逢う事」

書き手の知人が知り合いの侍と二人で、秋の夜で風雨が強く、番町馬場のあたりでは前後往来も絶えるほどの大雨になり、提灯一つだけを紙の合羽の影にしていた。その道のかたわらに、1人の女子がうづくまっているではないか。合羽を着ているが、笠の類も見えず、女かどうかすら分からない。その脇を通り過ぎるときに、あれは何かと得と見ようかと言ったが、そんなことはしないほうがよいということになった。向こうから足軽使い風の男が二人来たので、勇気を得て戻って観てみると、そこには誰も何もいない。道の具合から、どこへも行きようがないのにと言いながら帰った。門をくぐる時に、寒気がして、翌日から瘧(マラリア)が始まって、20日ほどわずらった。連れの侍も同じように寒気がして20日ほど瘧で苦しんだ。そうしてみると、あの奇物は、瘧という病の「気」が雨中で形となったのだろうと。

なお、この作品は、ほぼ同じ形で、杉浦日向子さんが『百物語』という江戸の逸話から取ったマンガで取り上げていますので、ぜひお読みください。特徴があるタッチで、特別な疾病を起こす「気」が、秋の夜の大雨の中で何らかのかたちを取るという静かな恐怖を描いています。 

ここで取り上げられている疾病の「気」という概念は、東アジアの文化圏にとって非常に重要な概念です。気というのは、中国の医学の理論、人体と世界に関する哲学的な理論の中で中枢的な役割を持っています。医学においては、『黄帝内経』という中国で最も古く重要な医学テキストでも強調されている理論です。小曽戸洋先生のまとめを借りると、人体にかかわるあらゆる目に見えないエネルギーであり、人体は、この気と血を体内に巡らせる経路を持っており、十二経脈と言われています。この概念は、黄帝内経よりもさらに古い時代に遡ります。

この気が人体に影響を与える方法には、内因、外因、不内外因の三種があり、ここで問題になるのは外因です。これは六つの邪気があり、いずれも身体の外から侵入してくるという考え方になる。身体に虚があると、それに乗じて外から気が侵入して体を痛める。寒に傷られたのが傷寒であり、風に中てられたのが中風である。

このような、医学の具体的な技術の側面だけでなく、世界の構造や社会の構成、家族や夫婦のあり方においても「気」が重要になります。荘子は「人の生は気の集まりである。聚まれば生を為し、それが散じれば死を為す」と言っています。

そう考えると、先ほど紹介した瘧の気がこの世界に形容したという考えが、中国や日本の医学や思想の中で重要な何かに基づいたものであることが分かると思います。そして、近世の精神医療や精神疾患者への対応のある部分は、この気の考えに基づいています。

下―347 の説明を入れる <怪談集>の説明も入れる。

たとえば、人間ではなく動物の気なり霊なりが17世紀の末である寛文元年に刊行された『片仮名本・因果物語』では、甲州に住む或る関悦(かんえつ)という禅宗の長老が、伊勢と近江の堺にあるところで座禅して、その時に異相奇読を見た。その長老はそれを悟りを開いたと思い、他人を誹謗してうぬぼれるようになり、甲州に帰ったが、後に気が違って死んだ。彼が一緒に座禅をした広岩(こうがん)という長老は彼をよく知っており、彼が他の信者も傷つけていたことを語った。ある女が座禅を進められて寺に通い、30日ほどすると三尊の来迎があって、それが光輝いたから、悟りを開いたと大いに喜んだ。しかし、昼の行いや万のことは、前と同じである。それどころか、食べ物の好みも、猫のように変わって来た。そして、毎晩、猫がたぶらかして仏の姿を見せていた。この様子をある和尚が聞いて事態を見抜き、「その来迎とやらは皆妄想だ。このままだと気違い煩いになるぞ」といった。そして、その女についていた気が減り、座禅を辞めると、仏の来迎の妄想もやみ、平穏になった。 


耳袋 巻の四 「奇病の事」
松平宇京亮輝和という譜代の大名で、高崎城主8万4千石、寺社奉行大阪城代も務めたものが、家中の侍とその妻と愛人の話として以下のような物語を伝えている。侍の妻が病気で、やむなく里に帰していた。おそらく、精神疾患であったのだろう。その妻が言うには、「夫は外の女に心を寄せて自分を見捨てた。具合が悪いからといって実家に帰したのも、実は、その女の差し金である」とのこと。その様子は一通りの病気のようではない。この妻は、非常に容色が優れた女であった。一方夫は、容色はそうでもないが、体つきがたくましかった。妻が疑っていたある女は、茶坊主の娘であって、その男の体を見ては執心していたという。ただ、二人の間に不埒な不倫があったわけではなく、知り合っている仲というだけであったが、この女も発熱して、その時に、「男の本妻が私を恨んで呪詛している」などと口走っていたという。精神疾患の女が想像したの夫の不倫と、その相手と目された女が想像した妻による譴責が、空想世界の中で対話しているかのような例である。耳袋は、これも狐狸の仕業であろうと結んでいる。

 

根岸, 鎮衛, and 強 長谷川. 耳嚢. 岩波文庫. Vol. 黄(30)-261-1, 2, 3: 岩波書店, 1991.
高田, 衛. 江戸怪談集. 岩波文庫. Vol. 黄(30)-257-1, 2, 3: 岩波書店, 1989.
坂出, 祥伸, and 純代 梅川. 「気」の思想から見る道教の房中術 : いまに生きる古代中国の性愛長寿法. 心と教養シリーズ. Vol. 3: 五曜書房
星雲社 (発売), 2003.
小曽戸, 洋. 漢方の歴史 : 中国・日本の伝統医学. あじあブックス. 新版 ed. Vol. 076: 大修館書店, 2014.