煉丹術の世界と日本の朱砂

秋岡, 英行 et al. 煉丹術の世界: 不老不死への道. vol. 080, 大修館書店, 2018. あじあブックス.
松田, 寿男. 古代の朱. vol. [マ-24-1], 筑摩書房, 2005. ちくま学芸文庫.
 
煉丹(れんたん)の歴史の入門書である秋岡・垣内・加藤の『煉丹術の世界』を読み、松田『古代の朱』をもう一度チェックして、今回の論文では煉丹術の話はしなくていいが、背景で軽くまとめておく必要があるので、そのためのメモ。
 
中国の古代において、秦の始皇帝漢の武帝が、不老不死と永遠の生命を願い、その可能性を信じて不死の霊薬を入手することを希望したことが定着していた。この霊薬を体外から取り入れることを外丹(がいたん)、体内で生成させることを内丹(ないたん)という。外丹は、丹砂(たんしゃ)という硫化水銀の鉱物を用いて、それを加熱することで水銀を蒸気として飛ばし、それを再び冷却させて丹砂を得るという方法である。この操作や工程は、火加減や加熱時間などにおいて細かい議論が発展していた。水銀が大気中に飛び出すときは、天界に飛翔する真人のイメージを持った。『神農本草経』では、鉱物である石や、霊薬である芝が、不老や不死と結びつけられている。
 
内丹の手法は、このような過程を、体内で繰り返すことであった。これは、行気(ぎょうき)や導引(どういん)などの体内の気の操作と関係があった。また、仏教や特に禅宗と関係を持った。身体修養術の集大成と考えてよい。西欧との対比でいうと、科学革命以来、天地自然を対象としてみようと考えた西洋型ではなく、天地自然の営みを、そのまま体内で再生産することを目指したことになる。外丹が仙人という存在を重視した道教との結びつきが強かったが、内丹は文士に広まり、現在でも気功の一つの原型となっている。
 
中国では古代から19世紀までこの煉丹が定着し発展していったのに対し、日本においては古代には丹砂が非常に活発に利用された。朱砂(しゅしゃ)や辰砂(しんしゃ)などの言葉が示唆するように、赤い表面を持つ鉱物であった。日本では各地で生産され、古代には東大寺の大仏が必要とした水銀なども、国内の丹砂を膨大な量において利用されている。しかし、地表において利用可能な部分を使ってしまうと、丹砂と水銀は日本から離れていく。古代においては日本は丹砂や水銀を中国に輸出していたが、江戸時代には水銀に関して無知になってしまう。佐藤信淵という出羽の学者は、水銀は薬物になり白粉になり朱となり鏡となるが、日本にはこれを産出する地域がないと批判する。一方中国においては丹砂から水銀を生産することが定着していた。17世紀の『天工開物』では、丹砂を熱して水銀を抽出する産業のイラストがあるが、日本ではこのような技術は、ほとんど広まっていない。明治以降の鉱山業の復活と発掘技術の発展にともなって、北海道、三重、奈良、和歌山、大分で水銀採掘がはじまる。
 

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『天工開物』の水銀抽出の図。コトバンクより。