立春ー雨水ー啓蟄ー春分を経て、次は清明。太陽暦だと4月5日くらい。清明の節気には、春のうららかにして、万物が若々しい季節を表す。8月の節気である白露(びゃくろ)と並んで美しい言葉である。万花咲き、温風頬を撫で、人々は楽しく郊外で遊ぶのがこの頃である。
万物が清潔明暢である。「明暢」(めいちょう)という言葉は、明るくのびのびとしていること、明快で筋が通っていることを意味する。上田敏『海潮音』の「明暢晴朗なる希臘(ギリシア)田野の夢」がよく引用されている。ギリシアの農耕地と果樹園で見る夢が、どのくらい明るくのびのびしているのか、私には少しわかるけれども、田野というより、エーゲ海と白い建物が浮かんでいる。青春時代に見た池田満寿夫『エーゲ海に捧ぐ』という小説と映画が犯人である。フロイトのオイディプス王が現代に与えた矛盾的な深い影響かもしれない(笑)
清明に戻すと、初候は「桐始華」(きりはじめてはなさく)、末候は「虹始見」(にじはじめてあらわる)である。桐も虹も私にとって新しい主題である。