Buddhism and Medicine 新刊のアンソロジー
Buddhism and Medicine: An Anthology of Premodern Sources が刊行された。仏教と医学に関する重要なテキストの英語訳と指導的な学者による説明と聞いている。評者も素晴らしいコレクションだと絶賛している。Kindle で16,000円以上とさすがに高価だけれども買っておいた。これまで何度も、この部分の解釈は、仏教と医学の関係が分からないと理解できないだろうなということがあったからである。私が最初に専攻した初期近代のヨーロッパ医学で、キリスト教と古代ギリシアの関係を考えていたことがヒントになっている。もちろん、日本の仏教とインドや中国や東南アジアの仏教は違うとか、そういう問題はあるだろうけれども、どうせ間違えるなら、何かをして間違えたほうがいい。
中村元『往生要集を読む』を最近読んでいる。源信が描いた光景の凄惨さに毎晩戦慄している。地獄の炎、焼けただれた金属と、刃物で切り刻まれる人間の肉と筋と骨。すさまじいですよ。一読をお勧めします。
展覧会「コンニチハ技術トシテノ美術」について
「コンニチハ技術トシテノ美術」は、せんだいメディアテークのギャラリーでの展示。11月3日に始まり、12月24日まで開催されます。青野文昭、飯山由貴、井上亜美、高嶺格、門馬美喜の5人のアーチストの作品が展示されます。ウェブサイトによると、「もとは同じ言葉でありながら、近代化の過程で意味が分かれた「技術」と「芸術」の関係について、震災後の東北に関心を寄せる(中略)5人の美術家がいま見つめるべき課題として問いかけます」とのこと。
医療における技術と芸術との関係、私もよく濫用しています。<20世紀の医学は科学的に疾病とその原理を理解し、その結果もあって治療力が高まって技術的に洗練したけれども、さらに芸術とも積極的にかかわるのが患者の利益となる>というような言い方は、きっと私も色々なところで不用意にしていると思います。先日のワークショップでも、「医学史のアウトリーチについて、なぜ<うまい>という表現を使ったのですか?」と質問されて、「医学という技術においてはそれは理解して正確に使えなければならないけれども、音楽という芸術においては<うまい>と表現するほうがいいのではないか」というような内容のことを言って、少なくとも自分では何か意味があることを言ったように思っていました。これは、少なくとも非常に浅い発想ですし、もしかしたら錯覚かもしれません。本や論文を読んで、作品を見て、その技術と芸術の関係を考えようと思っています。
ここで展示される飯山由貴さんのお仕事をしばらく見ており、精神疾患や精神医療を芸術作品にするということを理解しようとしていますので、この展示のために仙台に行ってきます。飯山さんにもお話を聞いて、作者自身の態度を記事に書こう、そしてウェブサイト「医学史と社会の対話」で書いている、ギャラリストや学芸員の視点と並べて考えてみようと思っています。そのサイトはこちらになります。
『ボブという名の猫―幸せのハイタッチ』
土曜日のワークショップでの話しと授業の準備。意外に早く済んだので、午後に、実佳と一緒に映画『ボブという名の猫 幸せのハイタッチ』を観に行く。ロンドンのヘロイン中毒のストリートシンガーと、彼のみじめな生活にやってきて立ち直りを助けるストリート・キャットのボブという猫の物語。私たちが20代から30代にかけて青春を過ごしたロンドンの物語。個人的な事情もあるのだろうけど、ロンドンは今でも世界の都だということもあって、とてもいい映画だった。原作の本があって、これは同じ境遇をたどった男の自伝風の作品であるとのこと。読んでみようかな。
小さな疑問―この上着は何ですか?
黒田清輝が1909年に描いた寺尾寿(てらお ひさし 1853-1923) の肖像画。寺尾は福岡出身の天文学者・数学者。パリ大学に留学して天文学を学び、東大で天文学を講じて東京天文台の初代台長となった。日本の官僚や経済の名家と深い関係を築いた。黒田がフランスで学ぶ前に、フランス語の手ほどきをして、東大在職25年を祝したこの作品を描いて黒田はとても幸福だったとのこと。表情にも優しさと笑みがあって、素晴らしい作品だと思う。
問題は、この上着は何かということ。医師や科学者においては、この時期に白衣や実験衣などの仕事着を着た肖像画が現れ始める。ここで寺尾が来ているのは、礼服などではなく、仕事の時に羽織るもののように、私には見える。だとしたら、この上衣はなんだろうか。たぶん、天文学者の日常生活が分かっていないので、何をどう調べたらいいのかよくわからない。