ケアの神話

昨日書いたクリステヴァのマテリアルから、まず神話を見つけて、それに関するメモを書いてみた。ハイデガークリステヴァも挟み込んだヴァージョンも書いておこう。

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ケアという言葉をよく耳にします。日本語では看護や介護といったような、もともとは「守る」「かばう」「保護する」という意味を持つ「護」という漢字を持つ言葉があたります。このケアについては、一つの興味深い神話があります。英語のケアの語源である「クラ」というラテン語の名前を持つ女神が主人公である神話です。それをめぐって20世紀の哲学者であるハイデガーが『存在と時間』でコメントをし、さらにジュリア・クリステヴァという思想家が2012年に英語に訳されて刊行された Hatred and Forgiveness でもコメントしています。ケアをめぐって神話があること、それに哲学者や思想家がコメントしていること、いずれもケアするという行為が、人間と世界の構造にかかわる深い意味を持っていることをあらわしています。
 
まず、神話ですが、これはガイウス・ユリウス・ヒギヌスという1世紀のスペインで活躍したラテン語の著作家による『寓話』 Fabulae という神話集に入っています。私たちが知るヒギヌスの写本は不完全なものであり、神話の断片を集めたものであるとのこと。ただし、このケアについての神話、断片220番は、かなり完成した形であるように見うけられます。だいたい、以下のような内容です。
 
クラがある川を渡ると、そこに粘土の泥があったので、それを取り上げて考えながら人間の形を作った。彼女が作り終えるとユピテルが来たので、クラは粘土の塊に生命を与えるように願い、ユピテルはそれに応じて命を与えた。クラはそれに自分の名前を与えたかったが、ユピテルは魂と生命を与えたのは自分だから自分の名前が与えられるべきだといる。二人が言い争っていると、そこに地の女神テルスが起ち上って、その人間の素材である粘土は自分のものだから、自分の名前が与えられるべきであるという。三人は議論を続け、最後にはサトゥルヌスに仲裁してもらった。それによれば、ユピテルは命を与えたのだから人間の死後にその霊魂を取り、テルスは身体の素材を与えたのだから、人間の死後にその体を取るように定められた。そしてクラは最初に人間を作り上げたのだから、生きている間は人間をケアするように。そして、その名前については、humus (土) から作られたのだから homo    (人)とすることとなった。 
 
 
[Fable 220] CCXX. CURA
When Cura was crossing a certain river, she saw some clayey mud. She took it up thoughtfully and began to fashion a man. While she was pondering on what she had done, Jove came up; Cura asked him to give the image life, and Jove readily grant this. When Cura wanted to give it her name, Jove forbade, and said that his name should be given it. But while they were disputing about the name, Tellus arose and said that it should have her name, since she had given her own body. They took Saturn for judge; he seems to have decided for them: Jove, since you gave him life [take his soul after death; since Tellus offered her body] let her receive his body; since Cura first fashioned him, let her posses him as long as he lives, but since there is controversy about his name, let him be called homo, since he seems to be made from humus.
 
 
日頃、ケアにたずさわっている方々は、色々な思いでこの神話を聞いたことと思います。一つ、非常に面白いのは人間とケアをする女神が現れる順序だと思います。皆さまの職場では、論理的には、ケアを要する人がまずいる、そしてその人の要求なり需要なり必要なりに対応してケアが行われるという形で考えることが多いと思います。ところが、この神話では、ケアを与える女神であるクラがまずいて、そのクラが人間を作り出して、色々な話し合いや分業や配置の話があって、そしてやっと人間が生存中はクラの世話になるということで成立する。最初にクラとさまざまな神様の構造の組み合わせができて、そうしてやっと人間ができるということになります。

クリステヴァの分析:人間の創造の神話と医療における人文学

Cultural crossings of care: An appeal to the medical humanities | Medical Humanities

 

BMJ の Medical Humanities より、面白い論考を全部読めるプレゼント。ファースト・オーサーはジュリア・クリステヴァ。私が若いころには神話的なステータスを持った哲学者で、私はよくわからなかかったけど人気があった。彼女が2012年に書いた『憎しみと許し』で展開した、ギリシア神話における人間の創造の神話的な分析の要約がある。人間を作ったのは介護の女神 Cura (=Care)。 彼女が土から作った人間は、最高神ゼウス、素材の土を提供した地の神、時間によって人間が存在する場所を割り当てた時間の神などが複合的に管理した。そこから、人間の生命についての哲学的で時間論的な分析が展開される。
 
このエピソードは、クリステヴァなりオリジナルなりを読んで、内容をマスターして一度どこかで話してみよう。私は歴史の論文の中に神話の分析を入れられるようになりたいと思っていて、実は時々やっている。でも、冷酷な事実として、これがうまくできない。この間の論文の合評会では、「冒頭の神話の分析を削除しろ」という、めったに言われないけれども、まさに正しい痛烈なコメントを受けた。
 

新療法が全く効かない事に関する論文(昭和7年)

医学論文を読むと、新療法が出てきてうちの研究室でもやってきたらこうだったという追試の論文をよく読む。すごく効くとか、まあまあだとか、そんな感じの論文を数限りなく読んできた。今回、生まれて初めて、新療法がまったく効かなかったという論文を読んだ。良好な成績だったのは十例のうち一例もなかったという。現地で何があったか知らないけれども、少し気持ちが改まった(笑)

 

下村, 八五郎. "「チフス」保菌者ノ「テトラグノスト」治療後ノ排菌状態ニ就テ." 日本伝染病学会雑誌 6, no. 5 (1932): 501-09.

これは九大内科の小野寺が開発した保菌者のチフスを治す療法である。これは従来のあらゆる方法よりも優れたものだとされ、小野寺が実際に台湾にきて、台北市伝染病院稲江医院でも、小野寺に教えられたものが実際に行い、昨年秋には小野寺が自ら来てそれを実際におこなった。そして、保菌者の監視を命じられたので、その10名に関して実績を紹介したい。

その結果は、以下のようである。「新しき保菌者も古き保菌者も、年中いかなる時期に行った治療も、男女に関せず、年齢によらず、内地人と台湾人、チフス経過の有無、腸チフス、パラチフスAB、チフスの菌型の如何を問わず、良好な成績を示したものは一例もなかりき。」

 

ついでにその一覧表を掲げておく。

 

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精神病院の患者の診療録(19世紀末)を読んでの詩作

A visit to Brookwood Aslyum in the 19th century | Medical Humanities

 

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イギリスのサリー州のブルックウッド精神病院の記録が整理されて目録が公開されている。このような体制を日本でも作り上げて、水準が高い医学史研究ができるようになることを私たちは目標にしている。

http://www.exploringsurreyspast.org.uk/themes/subjects/mental_hospital_records/brookwood_hospital_woking/

 

この精神病院に関する展示で、ある患者の一生を知り、詩作がされて、イギリスの雑誌 Medical Humanties に掲載された。19歳で「ほかに行き場所がなくて」精神病院に行き、そこで終生を過ごした。このような患者は数としては一握りだが、やはりインパクトがある。詩作も、精神病院を囲う壁の中での苦しみを歌っていて、わかりやすい。

 

Between these four walls I exist

Alone silence echoes

Yet I hear despite this

Fear pounding through the walls,

So loudly, it bellows


Between the throbbing I decay

Delayed I pause, patient

Expecting to leave soon, afraid

That day will never come

I wait, waste, mind vacant


Between the dark some clarity

Explaining why Im here

Lunacy apparently

Justifies this treatment?

To me this is un- clear

 

アノイリナーゼ菌と新潟医大のツツガムシ病事件

アノイリナーゼ菌というビタミンB1を破壊して脚気を起こす菌とその保菌者についての論文をたくさん読んだ。

たとえば、高頭、敬子. "腸内腐敗の研究 Ii ". ビタミン 5 (1952): 363-68. 

この一連の仕事は、1953年に新潟医科大学の博士論文となった。この研究の指導教官は新潟医科大学の桂重鴻(かつら・しげひろ、1895-1989) である。桂は、1950年代に新潟の精神病院の患者100名ほどを用いて、ツツガムシの研究を行い、患者8名がそのため死亡(うち1名は自殺)という人体実験による深刻な医療事故を招いた。いわゆるツツガムシ病事件である。桂は、昭和13年には台北帝大の教授となり、引き上げのあと熊本医大、新潟医大教授というキャリアを歩んでいる。

このアノイリナーゼ症の研究は、科学研究費を取得して、研究室の若手研究者たちを総動員して、おそらく患者も短期間でかきあつめて、短期間で成果を集中的に上げるという総力戦のスタイルである。

ツツガムシ事件については、きちんとした研究がないのだろうか。昔の医療ジャーナリストの仕事を買ってみた。

 

ドストエフスキイ「現代生活から取った暴露小説」

Dostoyevsky, Fyodor M. "現代生活から取った暴露小説のプラン." In 後期短編集, 181-94. 東京: 福武書店, 1987.
Dostoyevsky, Fyodor M., and 正夫 米川. ドストエフスキイ後期短篇集. 福武文庫. Vol. と0202: 福武書店, 1987.

ドストエフスキイは私が「まだ読んでいない」偉大な作家である。教養人としても、学者としても、なぜこの偉大な作家で精神疾患の問題を深く織り込んだ作品をきちんと読んでいないのか、私が自らを問い詰めたい(笑)

今回は、まったく違う話の流れから読んだ短編作品だけれども、やはり偉大な作家の優れた文学作品であるだけでなく、学術的にも私が知っておかなければならなかった話である。文学作品としては、身の回りにたくさんいるし、なによりも私自身がとてもこの物語の主人公にとても似ている。うううむ。

学術的に一つの重要なことは、ロシアの作家であるゴーゴリが1835年に刊行した『狂人日記』という作品をなぞった構造になっていること。ゴーゴリの作品は、サンクトペテルブルクの下級官僚の不安と精神疾患への転落を描いた作品である。この作品に触発されて、中国の魯迅の『狂人日記』という作品を1918年に書いている。同時代の日本は精神疾患についての小説、詩、映画などの黄金時代に入った。これは、作品が作品に影響を与えるという文学の世界の中での影響関係もあるけれども、精神病院という新しい社会システムに注目すると、面白いのかもしれない。19世紀中葉のロシアもそうだし、20世紀初頭の日本もそうだが、精神病院というのは新しい社会システムで、それがある種の衝撃を持って社会に入っていくことと考えられないだろうか。

 

大英博物館・スキタイ展

www.britishmuseum.org

 

大英博物館の会員誌が来た。9月14日からスキタイ人(スキティア人)の文化についての大きな展示があるとのこと。素晴らしい企画で、思わず見惚れてしまう。これと関連して、11月から「神々と生きること」という企画が始まる。世界各地のさまざまな人々の宗教のありさまを問い直すもので、宗教に端を発するテロリズムの中で混迷している世界に大英博物館が出すメッセージである。この企画は、先代の大英博物館の館長だったニール・マクレガー先生が監督していると知人に聞いたことがある。これも、大英博物館がふんだんに所蔵している品物やデータを駆使したものになるのかと思うと、BBC Radio 4 で提供される連続ラジオ番組であるとのこと。この大英博物館が提供する連続ラジオ番組の底力は、すでに知っている。

スキタイ人は、紀元前の時代に黒海からシベリアにかけての広大な地域で活躍した騎馬民族である。しかし、写真を見ればわかるように、今回展示される遺跡や遺物は、非常にクオリティが高い。それも、物理的な損傷や化学的な劣化が感じられないものである。この理由は、遺物がシベリアの永久凍土で2000年間にわたって凍り付けの状態にあったので劣化が小さいからだという。素晴らしいのか、地球の気候システムが大きく変化していることなのか、そこはよく分からない。

この議論は、実はいま書いている論文と少し連関している。スキタイ文化の遺跡の保存は、自然界のそれぞれの場所が持つ性質と、その時系列上の変化を組み合わせて理解するものである。世界を場所と時間で分けたうえで、その関係性を読み解くものである。保菌者の問題は、この発想を用いる。もちろん中心となるのはヒト・動物・菌の間に成立するニッチな関係であるが、それがどのように他のトポスと関係するのか、そしてその関係性が時間によってどう変わるのか、そのようなトポスから構成される世界はどのようなものかを考察する背景を持っている。もう一つ、保菌者の問題で重要なことは、それが実際に患者が存在することも重要であるが、その研究のかなりの部分を実験室で、動物や実験器具や菌や体液などで作り上げる仮説上のエコロジカルな空間も重要である。とりあえずメモしておいた。